マネとゾラ
エドゥアール・マネ(1832-1883)は19世紀における最も独創的で、影響力をもった画家の1人であった。1863年の「草上の昼食」「オランピア」が例のないほど悪評にさらされ、彼の絵はできそこないで、現代風の裸婦は猥褻だときめつけられた。落胆したマネは1865年、逃れるようにスペインへ行き、17世紀の画家ベラスケスの作品に勇気づけられパリに戻り、画いたのがこの「笛を吹く少年」(1866年2月)である。モデルの近衛軍鼓笛隊の少年兵は、ボードレールとマネの共通の友人だったルジョワーヌ少佐がアトリエへ連れてきたといわれている。だが、少年の顔はおそらく息子のレオン・コエラ=レーンホフ(1852年生まれ)をもとにしている。
人体は極端に平面的だが、構図は自然かつ鮮明にまとめられ、非物質的な純粋色の響きが新鮮な感情をともなっている。人物をこのように「空気で包む」やり方をベラスケスから学んだ。そして浮世絵版画の影響も否定しえないだろう。
マネが後年には著名な小説家となるエミール・ゾラ(1840-1902)と初めて出会ったのは、毎週木曜日に開かれているカフェ・ゲルボワで、この「笛を吹く少年」が「背景が消えている」と批判された頃(1866年2月~5月)であろう。マネ34歳、ゾラ26歳。
同年のサロンに「笛を吹く少年」と「悲劇役者」を出品するが落選。マネは自分のアトリエで展覧会を開く。そこへゾラが訪れ、深く感動し、「エヴェヌマン」誌に「これほど単純な手段を用いてこれ以上強力な効果を生み出すことができるとは思わない」と、マネを擁護し賞賛した。この論評によって、ゾラは読者の反感をかい、同誌のサロン評連載を中断することとなる。ゾラはマネを「この上なく上品」で「とてつもなく人なつっこい」と感じ、2人は生涯変わらぬ固い友情で結ばれた。
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ゾラとマネの友情は有名な話だが、マネの手法は現代でも変形してg赤たちが取り入れている手法でありますね。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年3月22日 (金) 09時29分