浅野長矩は暴君で好色だった?
長らく浅野内匠頭長矩は「忠臣蔵」など芝居のイメージで領民に慕われた名君と思われていた。しかし近年の研究によれば、領民たちは重税をかけられ、年貢も厳しく取り立てられたため、長矩の切腹を聞いた領民は赤飯を炊いて喜んだという。儒学者の室鳩巣は「長矩は人と為り強硬(武骨者の注あり)屈下せず」と頭を下げることを好まない性格であったとしている。「諌懲後正」(1701年頃)によると「長矩は文道を好まず、武道を好む。生まれつき気が小さく、律儀である。しかも淳直な性格で非義はしない。ただ、家士や民間を憐れむというわけではない。国家の政道は厳しいだけで、仁愛の気味がない。贅沢はしないが、民からむさぼっている」とある。元禄の紳士録ともいえる「土芥寇讎記」(1690頃)によると「長矩は智があって利発である。しかし、女色を好むため、いい女を献上する家臣だけが出世する。長矩は、昼夜、閨房にあって女と戯れ、政治のほうは家老に任せている」とある。
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うがった見方をすると・・・
男は大抵好色なものだ。立場によって理性で自制しているだけだ。
女性も本来本能的に好色である。男女とも種の保存の本能に突き動かされて相手を求める。その意味で好色なのだろう。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年3月13日 (水) 22時15分