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2013年3月30日 (土)

テオドルスとヨハンナ

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 弟テオドルスと妻ヨハンナ

  ヴィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、サン・レミの精神病院で約1年間の入院生活の後、退院し、パリにいる弟テオドルス・ファン・ゴッホ(1857-1891)のもとに帰った。1890年5月20日、ゴッホは精神科医ポール・フェルディナン・ガシェ(1828-1909)のいるオーヴェル・シュル・オワーズへ列車で向かった。オーヴェルの豊かな自然と美しい風景はゴッホを慰めた。しかし、このときすでに悲劇の影は差し始めていた。

   1890年7月、ゴッホは久しぶりに弟テオとその妻ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル(ボンガー、1862-1925)のいるパリに戻った。パリ滞在中は、ロートレックやアルベール・オリエに再会した。しかしある日、ゴッホとテオとの間で些細ないさかいが起こった。ゴッホが作品の保管の仕方を非難したのに対して、テオはいまの経済状態の苦しいことをこぼしたのだ。それは、テオにとっては口が滑ったくらいの小さな愚痴だったが、ゴッホの張りつめた糸を切ってしまうには十分すぎる言葉だった。

   1890年7月27日、ゴッホは拳銃で自殺を図った。2日後の29日、テオに見守れながら息をひきとる。「人間の苦しみは生きるているものだ」という言葉を残して。兄を尊敬しつづけ、理解者であろうと努めたテオもまた、兄の死からわずか半年で亡くなった。

   ゴッホは、わずか37年という短い生涯で、二種類の巨大な作品を生み出した。一つはデッサンと油絵からなる造形的な作品、もう一つは文学作品とよぶにふさわしい膨大に量の書簡である。テオの死後、652通にものぼった手紙の束を3巻の書簡集にまとめたのは、テオの妻ヨハンナだった。24年の歳月をかけてこの書簡集を刊行するまでの間、ヨハンナはテオの所蔵したゴッホの作品を世間に認めさせる活動に献身。その尽力は並大抵のものではなかった。手紙の整理は困難が多い仕事だ。しかし何よりも彼女は出版のタイミングを辛抱強く待った。愛情と知性をもった彼女の仕事は、息子フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(V.W.ファン・ゴッホ、1890-1978、技師)に引き継がれ、1931年からアムステルダム市立美術館で常設展示されることとなった。こうしてゴッホの評価は高まり、1960年にはゴッホ財団設立。1973年、国立ゴッホ美術館が開館され、作品はここに集められた。

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