推古女帝の腰巻き
日本女性はいつからパンティを履くようになったか?たとえば新島八重(1845-1930)がパンティやブラジャーをしていたのか、という悩ましい質問がある。1932年の白木屋デパートの火災が切っ掛けで履くようになったという俗説があるが、すでに洋服では洋物の下着を着用する女性は明治時代からいたようである。下着の歴史を遠くさかのぼると、古代から男性は褌を、女性は腰巻き状の下着をまとっていた。女性はその性器の形状が外部に露出している訳ではないので、腰蓑(スカート)のように陰部を覆うだけで十分であった。ただし6世紀末の推古女帝のような高貴な女性はおそらく肌を覆う下着を身に着けていたと考えられる。
さて明治になって西洋の下着が渡来してくると、日本女性がどのような下着を着用していたのか、あまり詳しい資料がなく定かではない。19世紀の一般的な下着は男女とも、手首から足首まで覆うユニオン・スーツといわれるものであった(画像)。1910年代の後半に、カルマーズ紡績会社がアンダーシャツとズロースの2つに分ける方式を考案する。メリー・フェルプス・ヤコブがブラジャーを発明したのは1913年のことである。日本女性がズロースを履くようになったのは1920年以降のことであり、ブラジャーの着用は1950年以降である。(Union Suit)
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女性の下着には興味ない。
興味ある男たちの犯罪が枚挙にいとまがないが、女性は男性の下着にはあまり興味ないみたいであるところが面白い。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年3月11日 (月) 07時47分