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2013年3月 4日 (月)

ダリウス1世のべヒスタン碑文

Behistun

   1833年インドのイギリス軍の中尉ヘンリー・ローリンソンは、軍隊の訓練のためにペルシアに来た時、ここの主要な隊商道路に沿うべヒスタンという村で高さ百数メートルの断崖の上部に80メートル余りの平らな部分があり、そこに何か彫刻してあるを発見した。彼はかねて古代の遺跡に関心をもっていたので、1835~38年の間業務の傍らその研究を進めていたが、1844年に至り、友人とともにここに来て転写をした。有名な諸民族を征服したダリウス大王の彫刻の下にペルシア語、バビロニア語、スシアナ語(一名エラム語)とで何事かが彫られていた。のちグローテフェントはペルシア語を手がかりとして、一部分を翻訳した。さにら大英博物館のロー、ヒンクス、オッペルト、トールボットらによって解読が進められた。「王ダリウスはかく語る。アフラマズダの神慮によりて朕はここに誌せる以外の多くの業績を遺したり。これらは一々此の碑銘に誌さず。これを記録に留めざるは、後世此の碑銘を読む者が、朕の業績碩の余りに大なるを想い、これを信ぜずして虚偽をなさんことを惧るるが故なり」とある。アケメネス朝ペルシャ帝国のダリウス1世(在位前522-前486)は、広い領土を支配するため全国を20余りの州に分け、各州にサトラップsatrapsを置いた。一方で「王の目、王の耳」と呼ばれる王直属の監察官を派遣し、総督の監視や情報伝達をおこなっていた。(DariusⅠ,Behiatun Inscription)

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