戦国大名領域研究1560年
戦国史はなかなか複雑である。たとえば時期を決めて、全国の勢力分布を調べるとしてもわからないことが多々てでくる。小中学生の自由研究などでもネットを使って調べれば、面白いテーマだと思う。とりあえず永禄3年5月19日を基準にして述べる。この日は僅か2000人の兵を率いて織田信長が今川義元の2万5000の軍を桶狭間に破った戦いであり、戦国勢力地図を大きく塗り替えることとなった。当時、織田信長(1534-1582)は尾張を勢力下にしていたすぎない。隣国の美濃は斎藤道三の死により、斎藤龍興(1548-1573)が家督を継いだのが永禄4年のことである。駿河には今川義元(1519-1560)がいた。甲斐には武田信玄(1521-1573)、武蔵には北条氏政(1538-1590)、越中、佐渡は上杉謙信(1530-1578)ら強豪がいる。近畿は三好長慶(1522-1564)の勢力下になっていた。山城、丹波、播磨を領有している。越前は朝倉義景(1533-1573)が、若狭は浅井久政(1524-1573)が、伊勢には北畠具教(1528-1576)がいる。周防、安芸、備後には毛利隆元(1523-1563)がいるが、出雲の尼子晴久(1514-1562)と石見を争っている。長門、豊前には大内輝弘(1520-1569)が、豊後には大友義鎮(1530-1587)が、肥後には龍造寺隆信(1529-1584)がいる。薩摩・大隈・日向は島津貴久(1514-1571)の領国である。
しかし映画やドラマなどの影響で今川義元は「お歯黒をして公家風で、蹴鞠ばかりして遊んでいた」とか「桶狭間の戦いのとき、馬にも乗れず輿に乗っていた」などと軟弱で愚かな武将というイメージがある。しかし実際の義元は、検地をはじめ戦国武将の領国経営のモデルとなる施策を先駆的に進めた武将である。(参考:小和田哲男「今川義元」ミネルヴァ日本評伝選 2004)
« 啄木と及川古志郎 | トップページ | ガンディーの鉄道嫌い »
「日本史」カテゴリの記事
- 河越城の戦い(1546年)(2024.04.20)
- かえり船(2024.03.23)
- 鍋島騒動(2024.03.20)
- 勘解由使(2024.01.14)
- 藤原兼家(2024.01.12)
私も、1年ごとの精密な「戦国大名領域地図」が、しかも「主要大名」だけじゃなくて、「すべての戦国大名」が細かく載っているのが欲しいなぁと思って、探してみたことがあります。
が、そういうのは見つかりませんでした。
(大ざっぱなものは見つかりましたけど…)
誰かが研究してて本に出しててもおかしくないと思ったんですけどね~…
細かいところはよくわかってないんですかね~?
投稿: 世界史ドットコム | 2010年8月29日 (日) 16時47分
戦国時代の領国の勢力範囲は、境界線を定めた条約があるわけでもなく、そのときどきの政治情勢や力関係によって絶え間なく変動します。基本的には文書によって決めていくらしいのですが、たいへんな作業のようです。一年ごとの歴史地図ができたら素晴らしいですが、コンピュータ・グラフィックの得意な人で近世文書が読める人ならできるかもしれませんね。
投稿: | 2010年8月29日 (日) 17時13分