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2013年2月 4日 (月)

有賀長雄と社会進化論

200pxariga_nagao     進化をどのように考えるかということは、科学の問題であるとともにまた、思想の問題であるともいえる。すくなくとも18世紀までは、人間社会が進化する、あるいは自然が変化するという発想はなかった。しかしラマルクやダーウィンが進化論を唱えると、自然観が大きく変わってきた。ハーバート・スペンサーは進化を自然(宇宙・生物)のみならず、人間の社会、文化、宗教を貫く第一原理であると考えた。このような理論は一般に社会進化論(ソーシャル・ダーウィニズム)と呼ばれている。わが国でエポリューションevolutionを最初に「進化」と訳語したのは、社会学者の有賀長雄(画像写真、1860-1921)である。(evolution,Social Darwinism,Herbert Spencer)

  進化関係文献目録
宗教進化論 有賀長雄 東洋館書店 1883
族制進化論 有賀長雄 東洋館書店 1884
万物進化要論 スペンサー 西村玄道・杉本清壽訳 民徳館 1884
宗教進化論 スペンサー 高橋達郎訳 1886
進化新論 石川千代松 敬業社 1897
社会進化論 有賀長雄 1887
生物始源 一名種源論 チャーレス・ダーウィン 立花銑三郎訳 経済雑誌社 1896
進化論講話 丘浅次郎 東京開成館 1904

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コメント

有賀長雄(1882年東大ぶ文学部卒)は1883-84年に大著《社会学》を公刊,スペンサーの学説にもとづく独自の社会進化論を展開した。他方、日本国語大事典の用例によると「*哲学字彙〔1881〕「Evolution 化醇。〈略〉進化。開進」*人権新説〔1882〕〈加藤弘之〉一・六条「抑進化主義とは蓋し動植物が生存競争と自然淘汰の作用により漸く進化するに随て漸く高等種類を生ずるの理を研究するものにして」*生物学語彙〔1884〕〈岩川友太郎〉「Evolution 醇化、進化」の3例が明治初期の用例として引かれており、更に書誌注釈として「ダーウィンの進化論を日本に紹介した加藤弘之の造語と考えられるが、早い使用例は加藤弘之が主宰した東京大学の紀要雑誌「学芸志林」に発表された東大の学生の翻訳論文、例えば第一〇冊(一八七八)の「宗教理学不相矛盾」などに見られる。その後、「哲学字彙」にも登録されたが、「化醇」も使用されていた。挙例の「人権新説」が出版された後、進化論に対する社会の関心が高まり、一般に広く浸透した。」とある。「学芸志林」は東大総合図書館に保管されていると思われるが、そこで「東大の学生の翻訳論文」の当該の学生の名前が記名されているかだろう。私は腰痛が治りきらず、利用者カードも更新していないままなので、本郷の東大総合図書館に通えないが。

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