沖田総司と4人の女
沖田総司と恋仲になった女性の話は多い。司馬遼太郎の「新撰組血風録」でよく知られているのが壬生の医療所の娘、半井お悠(名は創作)。結核で治療が必要なことなどを理由に近藤勇が訓戒して別かれさせた。女は他家に嫁いだという淡い恋愛。
2人目は、江戸の試衛館時代のこと。道場の掃除や洗濯などをしていた岩田文碩の娘コウ。あるときコウは沖田に妻として迎えてほしいと胸のうちを打ち明けたが「私は未だ修行中の身ですから」と振られた。コウは恥じて懐剣で喉をついて自害を図ったが致命傷にはならず、一命をとりとめた。後に近藤の養女となり他家へ嫁いだという。たが岩田文碩は大坂南堀江に住み、谷万太郎は文碩の次女スエと結婚している。コウは3女で沖田と知り会うのは京都かもしれない。
3人目は、七条油小路旅館里茂の娘きん。総司より1つ年上で新庄藩の御徒歩小頭酒井艦左衛門の妻である。つまり人妻との不倫関係だが結末は不明。
4人目は、京都の光縁寺(四条大宮)に「沖田氏縁者」と刻まれた墓石の女性。一説にこの女性を医師浜崎新三郎・トク夫妻宅で介護をしていた石井秩とする。他説にはこの墓石の女性を酒井きんとする説がある。秩は山城乙訓郡西本生邑・百姓石井中左衛門の娘で、沖田との間にキョウという娘がいた。慶応3年4月26日に死亡している。
沖田総司をめぐる女性はあくまで想像の域をでないが、ピアな恋あり、人妻との不倫あり、子供の認知問題ありでバリエーションが豊富だ。
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