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2013年2月24日 (日)

平塚らいてう「若いツバメ」

Img_0005     広辞苑で「つばめ」を引くと、二つの意味が載っている。①は鳥であるが、②は「年上の女にかわいがられている若い男」の意である。「つばめ」という言葉に、いまでも「年下の男」という意味があるのは、大正・昭和の社会運動家・平塚らいてうの恋愛事件に由来する。そして、若い男というのは、画家・奥村博史(1889-1964)のことである。奥村が平塚と別れることを決意した手紙の一節「静かな水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ一羽のツバメが飛んできて平和を乱してしまった。若いツバメは池の平和のために飛び去っていく」とある。画像は大正3年夏、平塚らいてうと奥村博史。

   平塚らいてう、平塚雷鳥(1886-1971)。本名は明(はる)。明治19年、会計検査院次長・定二郎、光沢(つや)の三女として、東京麹町に生まれる。明治36年、日本女子大卒業後、森田草平との「煤煙事件」と呼ばれる心中未遂事件で世人を驚かせた。明治44年9月、生田長江のすすめで女性だけの文芸雑誌「青鞜」を創刊した。「元始、女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である」という有名な創刊の辞を起草、これが日本女性による最初の人権宣言ともなった。

   平塚らいてう(当時27歳)は、明治45年夏茅ヶ崎で、5歳年下の奥村博(のちに博史と改める、当時22歳)と出逢い、大正3年1月から東京巣鴨での共同生活が始まる。困難の中で二人の愛はみごとに年輪を加える。らいてうは博史との出合いの前にエレン・ケイとめぐりあい、その著作「恋愛と結婚」に大きな啓示をうけた。らいてうの婦人解放思想の骨格には、ケイの母性尊重主義の柱が通っているが、彼女は自分の恋愛と並行して、「恋愛と結婚」の翻訳を「青鞜」に連載した。機関誌「青鞜」という名は、18世紀以後、イギリスに起こった婦人参政権運動の一派が、黒い絹の靴下の代わりに青い毛糸の靴下(ブルー・ストッキング)をはいていたことに因んでつけられた。その同人はつぎのとおり。

   平塚らいてう、保持研子(やすもちよしこ)、中野初子(なかのはつこ)、物集和子(もずめかずこ、のちに大倉燁子)、木内錠子(きうちていこ)、遠藤清子(えんどうきよこ、岩野泡鳴夫人)、加藤みどり、野上弥生子、水野仙子(みずのせんこ)、荒木郁子(あらきいくこ)、杉本正生(すぎもとまさお、清谷閑子)、茅野雅子(ちのまさこ)、神崎信子(かんざきのぶこ、平井)、上田君子(うえだきみこ)、長沼智恵子(高村光太郎夫人)、上代(うえしろ)たの、岡田八千代(おかだやちよ)、加藤籌子(かとうかずこ、小栗風葉夫人)、尾島菊子(おじまきくこ、小寺)、国木田治子(独歩夫人)、小金井喜美子(こがねいきみこ、良精夫人)、瀬沼夏葉(せぬまかよう)、田村俊子(たぬまとしこ)、長谷川時雨(はせがわしぐれ)、森しげ子(鴎外夫人)、与謝野晶子。すこしおくれて、榊桜子(さかきさくらこ、神近市子)、長曽我部菊子(ちょうそかべきくこ、生田春月夫人花世)、伊藤野枝(いとうのえ)、尾竹紅吉(おだけこうきち、宮本一枝)、小林歌津子(こばやしかづこ)、小笠原員子(おがさわらかずこ)、安田皐月(やすださいげつ、音楽家原田潤夫人)、高田真琴(たかだまこと、坂本真琴)、岡本かの子、三ヶ島葭子(みしまよしこ)、原阿佐緒(はらあさお)、原田琴子(はらだことこ)、岩淵百合子(いわふちゆりこ)、柴田かつ子(しばたかつこ)、上野葉子(うえのようこ)。このなかには、大正・昭和にわたって活躍した女流作家がふくまれている。

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