戦時下におけるキリスト教信仰の敗北
1940年になると、近衛文麿内閣は、国家総動員法を制定し、戦時体制を強めた。カトリック、プロテスタント諸派は日本基督教団に統合され、神よりも天皇が優位に立つと認めされた。ホーリネス派の函館聖教会の牧師補、小山宗祐(画像1916-1941)は1941年1月、護国神社の参拝を拒否したとして逮捕され、1941年3月23日に獄中自殺した。(実際は遺体に酷い傷痕があり、官憲により拷問で殺されたともいわれている)
だが小山の死は1つの始りでしかなかった。1942年にはキリスト教徒96名が逮捕され、1943年には第2次検挙があり、合計124人が逮捕された。菅野鋭、斉藤保太郎、辻啓蔵、小出朋治、竹入高、池田長十郎、佐野明治らが宗教的弾圧により犠牲者となった。天皇制によるファシズム国家である日本は、戦争を推進する強権に対して真正面から組織的な抵抗を行った例はない。アジア諸国、東欧諸国やフランスなどとの大きな違いである。競争主義、成果主義の目的達成のためには体罰を容認する精神的風土にも似た、封建主義、国家主義的が根強く残っている。
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