世論とは何か
1804年に国民の圧倒的支持を得てフランス皇帝の座についたナポレオンが10年で退位するにいたった原因のひとつは、彼が国民の志向する民主主義と平等という目標から、彼らがいったん捨て去り忘れさろうとしていた反動主義に回帰したからと考えられる。つまり、ナポレオンは世論に背をむけたため失脚の破目に追い込まれたのである。世界史において「世論」という語彙が現れるのは、フランス革命期、蔵相をつとめたジャック・ネッケルだといわれる。彼は、「200年前にはまったく存在せず、そして現在、好むと好まざるとにかかわらず、交渉せねばならぬ権威」として世論の力を認識したが、彼のいうところの世論はブルジョワジー階級の声であった。日本で世論という言葉が広くつかわれるのは戦後になってからである。国立国会図書館などで「世論」をキーワードに検索しても戦前の本はヒットしなかった。ただし、「世論新聞社」が昭和12年に存在し、言葉そのものは明治初期からあった。福澤諭吉「徳育如何」で「社会の公議與論すなわち一世の気世」と書かれている。幕末明治以来、日本の世論形成は正しくなされたといるであろうか。かつてマスコミは「社会の木鐸」といわれたが、昨年暮の衆院選挙での「自民党圧勝、民主党大敗」の予測報道は「世論とはマスコミが作る」という印象を与えたことは否めない。(Napoleon,Jacques Necker)
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