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2013年2月 6日 (水)

仏教・景教同一論

250px1   わが国におけるキリスト教の伝来は、一般には1549年、つまりイエズス会の伝道士フランシスコ・ザビエルが鹿児島の稲荷川河口の戸柱港に上陸したときに始まるとされる。しかし近年はシルクロードの東西交通路をつうじて、遅くとも奈良時代前半、キリスト教の存在は知られていたと推測されるようになっている。明治の歴史学者、久米邦武(1839-1931)は、日本書紀に記された、聖徳太子の母、穴穂部間人皇后が馬屋の前で産み落とし、厩戸皇子の名がつけられたとする話は、当時、長安で流布していた景教(ネストリウス派)の知識を、留学僧が日本に持ち帰えったからであるとしている。日本書紀の成立年を720年とみると、第8回遣唐使(多治比県守)の帰朝は718年のことである。

  日本はキリスト教と関係が1300年にもなるが、世界的にみると、日本はキリスト教が普及しない国の一つである。歴史的にキリスト教に対して厳しい弾圧が加えられたことも事実であるが、仏教や神道という既成宗教の存在も大きい。しかし近年、無宗教の人も増えつつある現在、自分にあった宗教としてキリスト教をみなおしている人も多い。2010年の雑誌「Pen」のキリスト教の特集以降、キリスト教関連の書籍がよく売れているという。

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キリスト教」カテゴリの記事

コメント

京都の太秦って、ローマという意味だったですよね。大酒神社だったかな?ダビデ王を祀った神社があるって梅原猛氏の本で昔呼んだ記憶があります。
飛鳥時代に渡来した秦氏はローマ人の末裔だったという説もあるとか。その時代にこの日本に青い目の人がいたとすると…。
なんかロマンのある話ですね。

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