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2013年2月19日 (火)

梶原景時「逆櫓論争」

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逆櫓乃松址(大阪市福島区)

  鵯越の奇襲で平家を海上に追い落とした源氏の総大将義経は、時を移さず平家を屋島に攻めようとした。このとき、梶原景時は「今度の戦では逆櫓をつけよ」と言い出した。船の前後に櫓をつければ進むも退くも自由だからである。すると義経は、「戦いには退くことは禁物ぞ。だから逆櫓は無用」と反対した。景時は立腹し、「これは異なことを。進むべき時に進み、退くべき時には退いて最後には敵を滅ぼすこそ名将というべけれ。進むことのみ知って退くことを知らぬは猪武者ぞ」と言ってのけた。義経は怒って、「猪武者とは何事ぞ。我は全軍の大将ぞ。逆櫓の如きは罷りならぬ」といえば景時も負けてはいず「我が主と仰ぐは頼朝公のみ」と言い放ったので、義経は烈火の如くに憤り、刀の柄に手をかけたが、部下に引止められて漸く事なきを得た。

   梶原景時(?-1200)は頼朝死後も宿老の1人として重んぜられたが、結城朝光を讒訴したことから、逆に弾劾される。謀反のために上洛する途中、駿河国狐崎で討死する。和歌を嗜み、静岡市の梶原山には辞世の歌を刻んだ歌碑がある。

  武士の 覚悟もかかる 時にこそ

  心の知らぬ 名のみをしけれ

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コメント

ケッセルリンクのような撤退防御作戦の名将もいます。景時をもっと評価すべきですね。

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