切れた堤を米俵で防ぐ
大雨で大坂の淀川の堤が切れたことがある。豊臣秀吉は石田三成に命じて堤防を直させた。三成は「方法は全部わたくしに任せてください。米の俵を、土の俵の代わりにつかって、堤防の切れたところに積み上げるのです。土の俵は、今から作っても間に合いません」秀吉はもったいないと思ったが、「わかった。思うとおりにやれ」と言い放った。秀吉の許可を得て、三成は米俵をどんどん運ばせた。臨機応変の知恵で、堤の切れは次々とふさがれた。やがて、雨は止み、洪水はおさまった。しかし、三成はそのままにはしなかった。今度は、近くの村々にこういう触れを出した。「堤に積んである米俵をやる。そのかわり、丈夫に土の俵を持ってこい。土の俵3俵と米の俵1俵と交換する」 聞いた村人たちは喜んだ。そこで、みんなは精をだして土の俵を作った。三成は、担ぎ込まれる土の俵を一俵一俵自分で点検した。いいかげな作り方をした俵はすぐ返した。そして、丈夫な俵だけを選んで、3俵につき、米1俵を与えた。この対応は、一挙に石田三成の名を高めた。(童門冬二「戦国武将 人心掌握の極意」)
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