武蔵初決闘の地・平福
巌流島の決闘で有名な宮本武蔵だが、その生涯は謎に満ちている。兵庫県佐用郡平福に「武蔵初決闘之地碑」がある。武蔵の「五輪書」には地名がでていないが、「佐用郡誌」(1926)には見える。1596年、武蔵(当時は弁之助)が13歳のとき、平福に有馬喜兵衛という新当流の兵法者がやって来た。「何人なりとも望みしだい手合せいたすべし。我こそ日下無双兵法者なり」という高札を見て、ここ金倉橋のたもとで武蔵は挑み、一刀のもとに倒したといわれる。喜兵衛がどの程度の武芸者であったのかわからない。乱暴者の土地の博徒だったという説もある。3年後、1599年には但馬国で秋山新左衛門と真剣勝負をしたとある。打ち殺したのであろう。
« パラレルキャリア | トップページ | アルツハイマー博士はこんな顔 »
「日本史」カテゴリの記事
- 河越城の戦い(1546年)(2024.04.20)
- かえり船(2024.03.23)
- 鍋島騒動(2024.03.20)
- 勘解由使(2024.01.14)
- 藤原兼家(2024.01.12)
コメント