山本八重と鉄砲
幕末に最も多く輸入された鉄砲は前装滑膣式雷管ゲベール銃であった。安政年間、この銃の製作法を図示した「銃工便覧」が刊行されている。全国の鍛冶たちは同書をテキストに、またゲベール銃の現物を見本にして模倣に挑戦した。強力な鉄製バネの細工に苦労したものの、ついに雷管ゲベール銃の模倣に成功した。NHK大河ドラマ「八重の桜」は第6回は、松平容保が京都守護職に任命された文久2年(1862 年)ことで、八重は前装単発のゲベール銃で訓練している。
山本八重は明治42年の回想で、山本覚馬が長崎から八重に送ったスペンサー銃で会津若松篭城戦を戦ったと語っている(「婦人世界」1909年11月3日号)ところが昭和元年、八重が平石弁蔵に宛てた手紙に「8月23日の夜襲に出るとき高木盛之輔の姉に髪を切ってもらい、両刀をおびゲベール銃で出て大いに打った」とある。いったい八重が会津若松篭城戦で使用した銃はスペンサー銃であろうか、ゲベール銃であろうか。スペンサー銃は1860年アメリカで発明された世界最初の後装式(元込め)連発銃で、軽量である。ゲベール銃は18世紀に活躍したもので、前装で単発であるため旧式である。おそらく八重は実践でスペンサー銃を使用したものの弾丸が切れて、弾丸の製造が可能だったゲベール銃に代えて奮戦したのではないだろうか。
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