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2013年2月 1日 (金)

テレビの怪人たち

Photo_3    本日は「テレビ放送記念日」。1953年のこの日、NHK東京放送局が日本初のテレビの本放送を開始した。当時の受信契約数は866台、受信料は月200円だった。町の電気店には大勢の人だかりができた。

  司馬遼太郎はテレビ開局はじめの昭和30年代、テレビによくでていた。読売テレビの「素顔のタレント」とか「日本の文学」の平家物語の巻で解説をしていた。まだ「新選組血風録」を書く前のことである。

   淀川長冶は「日曜洋画劇場」の解説の以前に「ララミー牧場」の解説でお茶の間で知られていた。しかしその頃、アメリカの西部劇に詳しい人だとは知っていたが映画の宣伝マンとか「映画の友」の編集長だったとかは一部の人しか知らなかった。

   「そっくりショー」という人気番組の審査委員長の丸尾長顕も蝶ネクタイをしている紳士というだけで、どういう素性の人かわからなかった。少し大きくなって谷崎潤一郎の書いたものにその名前がでてくるので、日劇ヌードショーのプロデューサーであると知って驚いたものだ。

   寺内大吉もお寺の坊さんらしいけど「キックボクシング」の解説者で本職は小説家なのか、はっきりとは知らなかった。あとで知ったことだが産経新聞の「文壇短信」というコラムを書いていた寺内が産経新聞の記者の福田定一に小説を書くようにすすめて、あらゆる懸賞小説の応募規定をあつめて東京から大阪にいる福田に郵送した。福田はその中から講談倶楽部賞に「ペルシャの幻術師」という小説60枚を2晩で書き上げて送った。それが「第8回講談倶楽部賞」に選ばれ、福田定一は司馬遼太郎というペンネームで世に出たという。

   司馬遼太郎、淀川長冶、丸尾長顕、寺内大吉たちは、いずれもテレビでよく見る何をしているかわからないおじさんだった。子供にとっては、いわば「テレビの怪人」だったが、ケペルは年をとってから彼らの魅力にますますひかれている。

    最近、テレビで脇役を長くしていた俳優が主役をくうような怪演をしたり、存在感をみせることがある。そんな俳優も「テレビの怪人」だろう。

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