東洋のレオナルド・ダ・ヴィンチ
平賀源内は「江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼ばれている。日本で初めての静電気発生装置エレキテルを発明したり、蘭学・医術・画家・陶芸家などの顔を持つ万能人である。しかしこの呼称は国内だけに通用するものであり、西洋で「東洋のレオナルド・ダ・ヴィンチ」といえば、イラン・ブワイ朝の哲学者・医学者のアヴィケンナ(ラテン名)を指すのが一般的である。
アヴィケンナはイブン・シーナー(980-1037)といい、イランのサーマーン朝の政府高官の子としてブハラに生まれた。幼時から天分を発揮し、17歳でサーマーン朝君主ヌーフ2世の重病を癒したおかげで、その図書館に入って自由に研究することを許された。21歳で最初の哲学書を著し、各地を転々としたが、イランのハマダンに滞在したときはその君主から宰相に任じられ、日中は政務に没頭し、夜間は著作に専念した。のちイスファハーンに赴き、その君主の庇護を受けて14年間を過ごした。君主ジャラール・ウッダウラのハマダン遠征に同伴して病を得、ハマダン付近で没した。
その学問は神学・数学・天文学・医学・哲学の諸学にわたり、詩人としても優れていた。著作は100種以上にものぼるが、なかでも「治癒の書」は哲学全書的なもので、古代ギリシアのアリストテレスに基づきながら新プラトン派の宗教思想を加えたもので神秘主義の傾向がある。これまで部分的発達にとどまっていた哲学的思考を精緻な体系にした鉱石があり、ヨーロッパのみならず、イランなど東方の思想家に与えた影響も大きい。また医学書「医学典範」は、中世におけるギリシア・アラビアの医学の集大成であり、12世紀から17世紀にかけて西欧の医学の基本書として用いられた。(Ibn Sina,Avicenna,Buye)
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