子規の墓前に佇み凱旋帰国した秋山真之
明治38年10月、東京湾で挙行された凱旋大観艦式がすんで、秋山真之中佐は根岸の正岡子規の家を訪ねるために、まだ暗いうちに家を出た。真之の家の高輪から根岸まではおよそ3里半で、普通に歩けば3時間近くはかかるが、男の足なら2時間半もあれば十分である。真之は乗り物を使ったのか、歩いたのかは、司馬は書いていない。「坂の上の雲」には「途中、根岸の芋坂とよばれているあたりの茶屋でひとやすみした」とある。芋坂の羽二重団子を売る「藤の茶屋」は現在もある。そのあと、真之は子規の家の前まで行くが、入ることができず、きびすを返して田畑の大龍寺に向かった。「子規居士之墓」と御影石に刻まれている。真之は亡き親友に何を語りかけたのだろうか。真之の生涯も、かならずしも長くなかった。大正7年2月4日、療養先の小田原で没した。享年49歳だった。
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