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2013年2月 8日 (金)

長塚節と若杉鳥子

Photo_5   本日は節忌。長塚節(1872-1915)は夏目漱石の推薦で東京朝日新聞に「土」(明治43年6月13日から11月17日掲載)を執筆中のある日、遠縁にあたる詩人の横瀬夜雨(1875-1934)宅を訪ねた。そこで夜雨から一人の女弟子の写真を見せられた。若杉鳥子(1892-1937)という女性で、庶子のため生後間もなく里子にだされ芸者の修業をさせられていたが、強い向学心と文学の才能があり、16歳の時、家出、上京したという素性を聞く。節はその楚々たる容姿に魅了され写真を貸してもうら。明治43年6月、夜雨から鳥子の写真を返すように督促された節は写真の代わりに、「擬古二種」を夜雨あてに送る。

まくらがの古河の桃の樹ふふめるを

  いまだ見ねどもわれ恋にけり

          *

紅の下照り匂ふももの樹の

  立ちたる姿おもかげに見ゆ

 ほどなくして、鳥子が夜雨宅にくることを知らされる。夜雨は二人を引き合わせることにしたが、ちょうどその時、節が痔を病んで、とうとう実現しなかった。鳥子は翌年9月、英文学者の板倉勝忠(1887-1973)と結婚する。

   節は終生独身で、結核のため大正4年、40歳に満たずに早世している。鳥子も昭和12年病のため44歳で亡くなった。

   鳥子は節が亡くなるや、挽歌7首を夜雨のもとに送り届けた。

大利根の川千載を流るとも

  故郷悲し君あらなくに

          *

筑波野に君います日は一握の

  土くれさへも光出しを

          *

君しあれば筑紫野に師の痛めるを

  たのみ来てにし逆さ事はも

   「逆さ事」とは病で外出もままならない夜雨の世話を本来は世話を受けた私がすべきなのに、節にそれを頼むように結婚してしまった。それを「逆さ事」と、すまない気持ちを表わしているのであろうか。若杉鳥子の文学者としての才能だけではなく、人柄のよさがこの歌でうかがい知ることができる。

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