3人の羽柴秀勝
羽柴秀勝という名前は歴史上に3人いたとされる。1人目は豊臣秀吉が長浜時代に、地侍の娘(南殿)に産ませたとする石松丸(1570-1576)。2人目は養子とした織田信長の4男・於次丸(1568-1585)。18歳で病死している。3人目は秀吉の姉とも(日秀)の子・小吉(1569-1592)で朝鮮出兵で陣没している。秀吉は最初の子である石松丸への愛着が強く、何度も秀勝という名を与えたと思われるが、7歳の石松丸が本当に秀勝と名乗ったかどうかは疑わしいとする説もある。また秀吉が長浜を与えられたのが、浅井長政滅亡後の1573年とすると、3年前に生まれたとするのは計算が合わない。長浜市の妙法寺には羽柴秀勝とされる男児の肖像画があった(焼失し現存しない。画像)。石松丸は秀吉の正室おねの嫉妬により、謀殺されたとする珍説すらある。
« 昭和の自動車文庫物語 | トップページ | 2013年ブレイクしそうなアイドルは? »
「日本史」カテゴリの記事
- 河越城の戦い(1546年)(2024.04.20)
- かえり船(2024.03.23)
- 鍋島騒動(2024.03.20)
- 勘解由使(2024.01.14)
- 藤原兼家(2024.01.12)
コメント