織田作之助
織田作之助は、太宰治、坂口安吾とともに、戦後三無頼作家の一人にかぞえられている。志賀直哉などの私小説への反抗から「二流文学論」「可能性の文学」などの評論により、 リアリズムを否定し、虚構をリアライズすることこそ、これからの文学の新面目があると説いた、その矢先の死である。昭和22年1月10日、享年34歳。処女作「雨」から勘定すると、8年ばかりの創作活動である。しかも、彼の愛した大阪においてでなく、上京中の銀座裏のバラック建ての佐々木旅館という客舎で仆れ、芝の東京病院で息を引き取っている。彼はすでに結核の末期的症状に侵されていたが、ハシゴ酒の末、深夜に帰宅すると、まもなく大喀血となり、ついに東京病院に運びこまれ死去した。
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