日本女優史 浦辺粂子
浦辺粂子(1902-1989)は明治35年10月5日、静岡県下田で生まれた。沼津高女卒業後、浅草の金竜館の踊り子としてデビューするが、芽がでず、芸名も遠山ちどり、静浦ちどり、と変えたが売れなかった。ある時、思いあぐねて易者に見てもらうと「このまま東京にいると死ぬか大怪我をする」と言われ、大阪へ向かった。この年の9月に関東大震災が起きた。一座の娘役が急病で倒れたため、芸名を浦辺粂子に変えて舞台に立ったところ、好演が認められた。映画はまだ女優は少なく、歌舞伎の女形が演ずることが多かった。大正13年日活の「清作の妻」や「金色夜叉」で女優としての地位を確立した。その後、20代後半で老け役女優に転向、戦後は昭和24年「異国の丘」、昭和25年「細雪」、昭和27年「稲妻」、昭和28年「雁」「煙突の見える場所」と脇役ながら日本映画の全盛期の名作に出演し好演した。とくに「稲妻」の高峰秀子の母親おせい役は印象に残る。東京の観光バスガールをする清子(高峰秀子)は勝気な美しい娘。母おせいは結婚、離婚を繰り返し、四人の兄妹の父は皆違うという複雑な家庭。長姉縫子(村田知英子)、次姉光子(三浦光子)、兄嘉助(丸山修)。次姉光子の夫が急死したことから保険金をめぐって兄弟間でトラブルが起きる。嫌気がさした末っ子の清子は家出をする。いやな男(小沢栄)や好男子(根上淳)なども登場するが、あくまで娘と母親との和解で物語りは終わる。戦後、適齢期の男はほとんど戦争で死んで、男1人に女28人の時代。女が一人で生きていくことが難しい時代だった。女性映画の第一人者の成瀬巳喜男はこの映画で1952年度ブルーリボン作品賞をとっている。助演女優賞は中北千栄子だったが、浦辺こそ受賞にふさわしい。(浦辺粂子「映画女優の半生」大正14年)
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