無料ブログはココログ

« 不空羂索観音像が2年ぶり「わが家」へ | トップページ | 石黒家庭園 »

2013年1月25日 (金)

「高」と「髙」について

Takashimaya   大相撲初場所。高安が白鵬と同じ2敗で日馬富士を追っている。テレビの文字では「髙安」とある。ウィキペディアや新聞では「高」である。本当はどうなのか。「髙島屋」のように「髙」の字に拘わっているのだろうか。漢和辞典には「髙」はなく、「高」だけである。おそらく康煕字典の字体にもとづくもので、新聞や教科書などは「高」の統一されている。しかし名前などむかしから「髙」の字を使っているかたは戸籍や公的な書類で「髙」の字が正しいとされている。「はしごだか」といわれ「高」との区別は存在する。

Photo     高野山所蔵の「源義経自筆書状」(国宝)を見てみよう。高野山の所領であった阿弖河庄(あてがわしょう)が平氏に横領される事件が起こった。この一件に対して、都にて代官を務めていた義経が、高野山の訴えを認めている。(宝簡集33)義経は「髙」の字を書いている。

  このような話はややこしいが、旧字とか繁体字とかいわれる話とも異なる。たとえば「學」の字は戦後「学」に改正されたが、漢字そのものは存在し、台湾や韓国でも使われるであろう。つまり「学」は教育漢字の俗字であり、康煕字典には「學」とある。「髙」は象形文字で高い楼閣の形で、古くから「髙」の字であるが、近世になって「高」が生まれた。日本でも高杉晋作などは「髙杉」と書いたであろうが、明治には「高」と「髙」が両方の字が存在していた。手書きで「髙」と書いても、印刷で「高」となることもあった。戦前は「髙」の字が多いかもしれない。拓本などで「髙」の字を調べる。淑徳大学中国石刻拓本データーベースが便利だ。「髙帰彦造像記」東魏、武定元年4月8日(西暦543年)髙帰彦が白玉の釈迦像を作ったことを記している。文字はもちろん「髙」である。本来の書道の鑑賞は門外漢なのでわからない。

Img_0005
  髙帰彦造像記(東魏)

1123fba671b57a42a570e53b4176e012
  高杉晋作11歳の書

« 不空羂索観音像が2年ぶり「わが家」へ | トップページ | 石黒家庭園 »

漢字」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 不空羂索観音像が2年ぶり「わが家」へ | トップページ | 石黒家庭園 »

最近のトラックバック

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31