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羽柴秀勝という名前は歴史上に3人いたとされる。1人目は豊臣秀吉が長浜時代に、地侍の娘(南殿)に産ませたとする石松丸(1570-1576)。2人目は養子とした織田信長の4男・於次丸(1568-1585)。18歳で病死している。3人目は秀吉の姉とも(日秀)の子・小吉(1569-1592)で朝鮮出兵で陣没している。秀吉は最初の子である石松丸への愛着が強く、何度も秀勝という名を与えたと思われるが、7歳の石松丸が本当に秀勝と名乗ったかどうかは疑わしいとする説もある。また秀吉が長浜を与えられたのが、浅井長政滅亡後の1573年とすると、3年前に生まれたとするのは計算が合わない。長浜市の妙法寺には羽柴秀勝とされる男児の肖像画があった(焼失し現存しない。画像)。石松丸は秀吉の正室おねの嫉妬により、謀殺されたとする珍説すらある。
自動車文庫とは図書館から離れた地域に住む人に本を提供するため、本を車に積んで期日を定めて巡回する移動図書館のことである。都市部では近年、駐車スペースの確保などが困難であること等により減少し、分館網を整備するなど固定施設への移行が計られている。昭和30年代は、子供の数も多く、自動車文庫は盛況であった。だが雨が途中で降ってきたり、風の強い日、冬など担当者には辛いこともあった。しかし利用者の笑顔に支えられ、実に楽しい仕事だった。私の巡回する地区は銀行や大企業の社宅のある団地で、夏はまだクーラーなどない時代。昼下がりの奥さんはブラジャーもせず、肌蹴たままの姿で本を借りに来るので、目のやりばに困ったものである。
エンガチョとは不浄のものを防ぐために囃したてる子供による口遊びのひとつである。エンは穢や縁を表し、チョは擬音語のチョンが省略されたねので、「縁をチョン切る」を意味する。口で「エンガチョ」と囃し、指先や身体で防御の印を結ぶことで不浄なものの感染を防ぐ。「穢れを防ぐ行為」は古来よりあり、13世紀ごろの信西の生首を見ている人々が人差し指と中指を交差させている図が「平治物語絵詞」に見える。
秋吉久美子の「えんがちょ」(1975)という歌謡曲には「えんがちょ、えんがちょ、えんの神様さずかった、人差し指のおまじない」とある。忍者やウルトラマンのポーズにもエンガチョの影響がみられる。アニメ「千と千尋の神隠し」にも千尋と釜爺との間にエンガチョの場面がある。
1899年のこの日、アルフレッド・シスレーはモレ・シュル・ロワンにて癌で死去した。印象派の巨匠たちの中でシスレーの作品は定型化した風景画が多く、たしかに存在感が薄い。ポスト印象派の画家たちゴッホ、ゴーギャン、スーラ、そしてセザンヌらの4人が20世紀の絵画の先駆となった。しかし近年、美術史家のリチャード・ショーンは「ポスト印象主義の画家たち」の中でシスレーに注目している。シスレーも1890年代に入るとモレ・シュル・ロワンの町の教会をモチーフにして、セザンヌを思わせる構築的な画面作りをはじめている。1893年になって空や雲はなくなり、教会そのものが主題となっている。晩年シスレーが過ごしたモレはパリ近郊のロワン川沿いの静かな町である。(Alfed Sisley)
東前頭7枚目の高安は12勝3敗で敢闘賞を受賞。人気者の高見盛は惜まれつつも引退を表明。ところでテレビで高見盛の「高」は普通の字体だが、高安は「髙」で、俗に「はしごだか」と言われる字体が使われている。おそらく姓名判断などによるものかもしれない(「高」は10画、「髙」は11画)。もちろん常用漢字「高」が正字で、「髙」は日本では漢和辞典にもない、俗字とされている。しかし象形文字から発達した漢字の歴史をさかのぼると「髙」の字形のほうが歴史があるといえる。書道で近代以前の能筆をみれば、ほとんど「髙」の字体が使われている。ではなぜ「高」が「髙」に優ったのか。それは康煕字典に「高」が採られ、わが国において活字字体の典拠とされたからである。新聞などで「髙安」は「高安」と表記される。だが固有名・人名などで「髙島屋」「髙嶋政宏」など「髙」の字は見かけることは多い。
かつて日本の作家は温泉が創作の場と書いたが、19世紀末の西欧の作家はカフェが創作の場であった。伝統的なウィーンのカフェは、清潔なスーツ姿に蝶ネクタイをした男性の給仕が応対し、世界各国の新聞が用意されている(ただし日本の新聞はない)。1860年に創業したカフェ・ツェントラルは宮殿の一部を改装した建物で、アーチ型の天井は豪華そのもの。フロイトやクリムト、マーラーといった学者や芸術家たちが通った。中でも、ペーター・アルテンベルグ(1859-1919)は、ここが大変気に入り、いりびたって作家たちと交遊し、自分の住所を「ウィーン1区カフェ・ツェントラル」と、答えたという。「孤独という子午線とウィーンという緯度の交わるところに位置している。その住人は、たいていは、ひどい人間嫌いのくせに人恋しく、ひとりでいたいが、しかしそのためには仲間を必要とする、といった類の人たちである」と、叙情的で日常的な散文を残している。カフェ・ツェントラルの入口にペーターの人形が置かれている。
参考:平岡達治「ウィーンのカフェ」大修館書店 1996 (Cafe Central,Wien,Peter Altemberg)
アラビア語は、われわれ日本人にとってなじみの薄い言葉である。義務教育で取り上げられることことはないだろう。アラビア半島の遊牧民の間で話されていたセム系の言葉の一種であったが、7世紀に預言者ムハンマドが現れて、イスラム教を唱えて以来、アラビア語はイスラム教とともに中近東、北アフリカ一帯に広まった。
よく知られているアラビア語の1つに「インシャラー」がある。シャンソン歌手アダモが1967年に自作自演でヒットさせ、レーモン・ルフェーヴルやポール・モーリアの演奏でも知られる名曲である。アラビア語で「神の御心のままに」という意味だが、「なんとかなるさ」とか「なるようになるでしょう」という意味でも使われる。アダモの歌はパレティナ問題を含んでおり、平和を願うメッセージがある。だがこの名曲は現在あまり西欧社会では流されない。イスラム文化に対して批判的な雰囲気が広がっているからだろう。現代イスラエル国家はヨーロッパにおけるシオニスト運動を経てユダヤ人により建国された。イスラエルの公用語はヘブライ語でありが、周辺地域に住むアラブ人はアラビア語を話している。「インシャラー」はアラーの神に祈るアラビア語である。イスラエルをテーマとした欧米映画「アラビアのロレンス」や「栄光の脱出」のようにイスラエル側の作品が多い。これは映画人に主にドイツ・東ヨーロッパからの移民を祖先とするアシュケナジム系ユダヤ人が多いからといわれる。アダモはイタリア生まれのベルギー人ということで、フランス社会において移民という出自なので、パレスティナ問題においても寛容(トレランス)のスタンスをとっているものと思われる。(Inchallar,Adamo)
浦辺粂子(1902-1989)は明治35年10月5日、静岡県下田で生まれた。沼津高女卒業後、浅草の金竜館の踊り子としてデビューするが、芽がでず、芸名も遠山ちどり、静浦ちどり、と変えたが売れなかった。ある時、思いあぐねて易者に見てもらうと「このまま東京にいると死ぬか大怪我をする」と言われ、大阪へ向かった。この年の9月に関東大震災が起きた。一座の娘役が急病で倒れたため、芸名を浦辺粂子に変えて舞台に立ったところ、好演が認められた。映画はまだ女優は少なく、歌舞伎の女形が演ずることが多かった。大正13年日活の「清作の妻」や「金色夜叉」で女優としての地位を確立した。その後、20代後半で老け役女優に転向、戦後は昭和24年「異国の丘」、昭和25年「細雪」、昭和27年「稲妻」、昭和28年「雁」「煙突の見える場所」と脇役ながら日本映画の全盛期の名作に出演し好演した。とくに「稲妻」の高峰秀子の母親おせい役は印象に残る。東京の観光バスガールをする清子(高峰秀子)は勝気な美しい娘。母おせいは結婚、離婚を繰り返し、四人の兄妹の父は皆違うという複雑な家庭。長姉縫子(村田知英子)、次姉光子(三浦光子)、兄嘉助(丸山修)。次姉光子の夫が急死したことから保険金をめぐって兄弟間でトラブルが起きる。嫌気がさした末っ子の清子は家出をする。いやな男(小沢栄)や好男子(根上淳)なども登場するが、あくまで娘と母親との和解で物語りは終わる。戦後、適齢期の男はほとんど戦争で死んで、男1人に女28人の時代。女が一人で生きていくことが難しい時代だった。女性映画の第一人者の成瀬巳喜男はこの映画で1952年度ブルーリボン作品賞をとっている。助演女優賞は中北千栄子だったが、浦辺こそ受賞にふさわしい。(浦辺粂子「映画女優の半生」大正14年)
橋口五葉(1880-1921)は、明治13年、鹿児島で生まれた。本名は清といい、五葉は生家の庭の五葉松にちなんでつけられた雅号で、東京美術学校時代から使っていたという。清は三男で、長男は貢、次男は半次郎といった。橋口貢は漱石の熊本の第五高等学校時代の生徒で、後に外交官になった。五葉はこの兄を通して漱石と出会ったと思われる。次兄の橋口半次郎は船の設計家であり、その関係で五葉は日本郵船のパンフレットの表紙を描いている。五葉は狩野派の絵を習い、橋本雅邦に入門した。しかし同じ鹿児島の出である黒田清輝に、やはりこれからは洋画を学ぶべきだとすすめられ、明治32年、白馬会研究所で洋画を学んだ。そして翌年の明治33年、東京美術学校西洋画科に入った。明治38年卒業。五葉は「ホトトギス」にカットを描き、漱石に気に入られる。明治38年、漱石の『吾輩ハ猫デアル』上巻の装丁をした(挿絵は中村不折)。装丁デザインに興味があった漱石は、ヨーロッパの本や雑誌を見せ、世紀末芸術の話を聞かせて、新しいデザインをつくらせようとした。そして漱石・五葉のコンビによって、明治39年『漾虚集』、明治40年『鶉籠』、明治41年『草枕』『虞美人草』などのデザインが生まれる。美術評論家の海野弘は「橋口五葉は、漱石の草枕のモデルとなった画家である」といっている。漱石とのコンビは、その後も『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』まで続く。明治40年、油彩屏風「孔雀と印度女」、第1回文展に「羽衣」を出品。明治44年、三越百貨店のポスターが一等になり一躍有名になる。この頃から油絵をやめ、日本画の无声会(むせいかい)に入り、浮世絵の研究をはじめた。大正4年、渡辺版画店から木版「浴場の女」を出し、大正9年まで新版画を制作した。次兄橋口半次郎は美術史家上野直昭の妹と結婚した。大正10年の「浮世絵之研究」第二号は五葉の追悼号であるが、上野直昭は「橋口五葉伝」を寄せている。半次郎は岩波茂雄とも親しかった。大正8年に五葉が岩波書店から、『広重東海道五十三次』、『歌麿』、などの復刻を出すのも、次兄の仲介があったからかもしれない。杉浦非水(1876-1965)、橋口五葉などの作品には、アール・ヌーヴォー様式による図案の試みがみられる。(参考:海野弘『日本のアール・ヌーヴォー』青土社)
闕画(けっかく)とは漢字の画を省くこと。省筆ともいう。天皇の名と同じ漢字を書く時、はばかってその漢字の画を欠くこと。本来、古代中国の帝王の諱を敬避する習俗であるが、日本でもかなり古くからみられた習俗らしい。明治新政府になって太政官布告で正式に一時期採用された。
「恵、統、睦の3字、御諱ニ付名字等ニ相用ヒ申スマジキハ勿論刻本等ニ闕画致ス可ク候事」とある。仁孝(恵仁)、孝明(統仁)、明治(睦仁)三帝の頭字である恵・統・睦の三字を、一般の人名に付けることを禁じ、印刷に付する場合には文字の最後の一画を省略するように命じている。だがこのような奇習は文明開化に馴染まずとして、明治5年には「自今闕画ニ及バズ」と布告している。ただし、天皇の名と同じ名を人名に用いることは、戦前までは禁止されていたようである。現代では子どもの名に「明仁」とつけても法的には問題はない。悩みの相談で、知らずに子どもの名前を「あきひと」(漢字は不明)とつけたため、畏れおおいと他人からいわれ、読み方を変えようかと悩んでいる人がおられた。人名には悲喜こもごもの話がある。
また欠字といって、文章中に、天皇・貴人の名などを書くとき、敬意を表すため、そのすぐ上を一字か二字分あけて書く風習があった。
本日は大阪国際女子マラソン。有力選手は、福士加代子、渋井陽子、小崎まり、樋口紀子、渡辺裕子、タチアナ・ガメラシュミルコら。日本語の「スポーツ」は、ふつう運動競技をさすが、英語のsportsは狩猟hunting、釣りfishing、競馬horse racingなども含まれる。
American football アメリカン・フットボール
modern pentathlon 近代五種
kendo 剣道
golf ゴルフ
soccer サッカー
cycling 自転車
shooting 射撃
judo 柔道
jogging ジョギング
gymnastic rhythmic 新体操
swimming 水泳
water polo 水球
skiing スキー
skating スケート
sumo wrestling 相撲
softball ソフトボール
gymnastics 体操
table tennis 卓球
tennis テニス
mountain climbing 登山
equestrian 馬術
basketball バスケットボール
badminton バドミントン
volleyball バレーボール
handball ハンドボール
fencing フェンシング
boxing ボクシング
hockey ホッケー
rowing ボート
marathon マラソン
baseball 野球
rugby ラクビー
athletics 陸上競技
wrestling レスリング
豊平川は、山岳地帯を抜けて平野になるや、広大な扇状地を形成する。アイヌ人はその扇状地の様子をサッポロぺツ(乾いた大きな川)と呼び、これが札幌の語源となった。豊平川の河跡湖の1つにモエレ沼がある。名称はモエレぺツ(流れの遅い川)に由来する。明治の頃は沼の水域はさらに北側まで伸びており、辺り一帯が低湿地帯であった。大正時代に入ると沼の周りを乾燥させるために排水路のアカンボ川(現在の赤坊川)が掘られ、現在の大きさにまで縮小した。大正から昭和40年代までは周囲の水田へ農業用水を送っていたが、1966年以降、減反による影響で水田は姿を消した。1982年から札幌市より大量に出されるゴミの埋立地とされていたが、モエレ沼公園として整備され2005年に完成した。園内にはガラスのピラミッド、モエレビーチ、モエレ山、プレイマウンテン、ミュージックシェルなどの施設・遊具などがあり、札幌一の観光スポットになっている。
名前はよく聞くけど、顔が浮かばない人がいる。中学地理で「ケッペンの気候分類」は習うけど、ケッペンという学者の顔が浮かばない。こんな人です(画像)。
本日は野口雨情(1882-1945)の忌日。雨情の代表作は「赤い靴」「船頭小唄」「波浮の港」「十五夜お月さん」「七つの子」「青い目の人形」「雨ふりお月さん」などいまでも知られた民謡、童謡が多い。だが意外と顔が知られていない。「この道」「からたちの花」「ペチカ」の北原白秋なら顔がうかぶ。「かなりあ」「肩たたき」の西条八十も顔がうかぶ。「東京行進曲」「王将」などの流行歌によって長命だった西条八十の名前や顔がいっそう知られたのかも知れない。「赤とんぼ」の三木露風も高名な名前のわりには顔が知られていない。不思議である。
むかしの作家は静かな山あいの温泉に1ヵ月以上も逗留して作品を書くというのが通例であった。最近では小説・映画の舞台を巡る旅がブームで、町おこしの目的で記念館もつくられている。作家と温泉を語るとき筆頭は、やはり「金色夜叉」尾崎紅葉と熱海温泉だろう。しかし熱海は交通の便が良く、鄙びた温泉ではない。志賀直哉の「城崎温泉」などは静かな旅館が、すっかり変貌してしまった。夏目漱石「坊っちゃん」の道後温泉、川端康成「雪国」の越後湯沢温泉や徳富蘆花「不如帰」の伊香保温泉、国木田独歩「湯河原ゆき」の湯河原温泉などデラックスなホテルが立ち並ぶ。「湯河原の渓谷に向かった時は、さなから雲深く分け入る思いがあった」と独歩は記している。独歩のように実名を記してくる作家は地元にとって有難い。藤原審爾などは奥津温泉を「秋津温泉」とわざわざ架空名にしているのは、悔やまれる。
イモリとヤモリは、どうちがう?イモリは両生類 amphibian で水を中心とした環境にすみ、しめった皮膚をもつ。ヤモリは爬虫類 reptilianで陸上にすむ。じょうぶな殻のある卵を産み、体はウロコにおおわれている。
両生類の一部から、爬虫類の祖先が現れ、さらに、爬虫類の一部から哺乳類や鳥類が現れた。
両生類、爬虫類を集める。
anaconda アナコンダ
inguana イグアナ
newt イモリ
frog カエル
turtle, tortoise カメ
cobra コブラ
siren サイレン
hawksbill turtle タイマイ
lizard トカゲ
snake ヘビ
boapaison ボア・パイソン
gecko ヤモリ
crocodile ワニ
昔むかし、ある農家の庭に住んでいる、一羽の小さな赤いめんどりがいました。ある日、その小さな赤いめんどりは、何つぶの小麦の粒をみつけました。彼女はそれらの粒を、その農家の庭にいる他の動物たちのところへ持っていきました。
「誰か、わたしのこれらの小麦の粒をまくのを手伝ってくれないかしら」と、小さな赤いめんどりはたずねました。
「いやだね」と、猫がいいました。
「いやだね」と、ねずみがいいました。
「いやだね」と、豚がいいました。
「それじゃあ、私が自分でこの小麦をまきますよ」と、小さなめんどりはいいました。それで、彼女はそうしました。
毎日、小さな赤いめんどりは、小麦ののびるのを見守るために、畑へ行きました。それらは、丈が高く、たくましく成長しました。
ある日、小さな赤いめんどりは、その小麦がいつでも収穫できるほどに育ったことがわかりました。そこで、彼女は農家の庭にいる他の動物のところへ行きました。
「誰か、小麦を刈るのに私を手助けしてくれないかしら」と、小さな赤いめんどりはたずねました。
「いやだね」と、猫がいいました。
「いやだね」と、ねずみがいいました。
「いやだね」と、豚がいいました。
「それじゃ、私が自分で小麦を刈りますよ」と、小さな赤いめんどりはいいました。それで、彼女はそうしました。
「この小麦は、もういつでも小麦粉にできるわ」と、小さな赤いめんどりは、農家の庭に向かって歩きだしながら、ひとりごとをいいました。
「誰か、小麦を粉ひき場へ持っていくのに私を手助けしてくれないかしら。小麦粉をひくのだけれど」と、小さな赤いめんどりはたずねました。
「いやだね」と、猫がいいました。
「いやだね」と、ねずみがいいました。
「いやだね」と、豚がいいました。
「それじゃあ、私が自分で小麦を粉ひき場へ持っていきますよ」と、小さな赤いめんどりはいいました。それで、彼女はそうしました。
小さな赤いめんどりは、その小麦を粉ひき場へ持っていき、そして、粉屋さんがそれを小麦粉にひきました。その小麦が小麦粉にひかれ終わるとすぐに、小さな赤いめんどりは、それを農家の庭にいる他の動物たちのところへ持っていきました。
「誰か、小麦粉をパン屋さんに持っていくのに私を手助けしてくれないかしら。パンにするのだけれど」と、小さなめんどりはたずねました。
「いやだね」と、猫がいいました。
「いやだね」と、ねずみがいいました。
「いやだね」と、豚がいいました。
「それじゃあ、私が自分で小麦粉をパン屋さんへ持っていきますよ」と、小さな赤いめんどりはいいました。それで、彼女はそうしました。
小さな赤いめんどりは、その小麦粉をパン屋さんへ持っていきました。そして、パン屋さんは、それをパンにしました。そのパンが焼けたとき、小さな赤いめんどりは、それを農家の庭にいる他の動物たちのところへ持っていきました。
「このパンは、もういつでも食べられるわ」と、小さな赤いめんどりはいいました。
「誰か、このパンを食べるのに私を手助けしてくれないかしら」
「手伝うよ」と、猫がいいました。
「手伝うよ」と、ねずみがいいました。
「手伝うよ」と、豚がいいました。
「だめよ、あなたたちは手伝えないわ」と、小さな赤いめんどりはいいました。「私が自分でそれを食べますよ」
それで、彼女はそうしました。
本日は牛痘種痘法を発明したエドワード・ジェンナー(1749-1823)の忌日。18世紀のイギリスでは天然痘はめずらしくなく、子どものうち3人に1人が3歳までに亡くなるという恐ろしい病気だった。1721年にボストンに天然痘がさかんになったとき、コットン・マザー(1663-1728)がトルコ式接種を提唱し、ワクチンで人工的に免疫を獲得させることをすすめた。これには反対も多かったが、医師ザブディエレ・ボイルストンは自分の息子に天然痘のウィルイを接種して成功した。この方法では危ない面があり、これを牛痘から種痘法を発見したのがジェンナーである。ジェンナーの逸話して知られる、息子に接種したという話はボイルストン医師の話が混同しているようである。(Eduard Jenner)
ある特定の人の噂をみんなでしていたら、突然、その人が現れたという経験をしたことないだろうか。また何の気なしに歌を口ずさんでいたら、同じ曲がラジオから流れてきたとか、ほんのちょっとした偶然の一致に不思議さを感じることはないだろうか。ロイターのニュースでホワイトハウスのオバマ大統領の額にハエが止まるというハプニングがあった。前にも口元にハエが止まったことがある。なぜオバマ大統領の顔によくハエが止まるのか。場所は広いホワイトハウス、しかも大勢がいるにもかかわらず、ハエにリーダーを識別する能力があるのか。
医学の父といわれたヒポクラテスは偶然の一致をこのように説明している。この宇宙には隠れた親和力によって結ばれている。宇宙には1つの共通した呼吸があって、万物は共鳴している。心理学者ユングはこれをシンクロニシティと呼んでいる。(Synchronicity)
大相撲初場所。高安が白鵬と同じ2敗で日馬富士を追っている。テレビの文字では「髙安」とある。ウィキペディアや新聞では「高」である。本当はどうなのか。「髙島屋」のように「髙」の字に拘わっているのだろうか。漢和辞典には「髙」はなく、「高」だけである。おそらく康煕字典の字体にもとづくもので、新聞や教科書などは「高」の統一されている。しかし名前などむかしから「髙」の字を使っているかたは戸籍や公的な書類で「髙」の字が正しいとされている。「はしごだか」といわれ「高」との区別は存在する。
高野山所蔵の「源義経自筆書状」(国宝)を見てみよう。高野山の所領であった阿弖河庄(あてがわしょう)が平氏に横領される事件が起こった。この一件に対して、都にて代官を務めていた義経が、高野山の訴えを認めている。(宝簡集33)義経は「髙」の字を書いている。
このような話はややこしいが、旧字とか繁体字とかいわれる話とも異なる。たとえば「學」の字は戦後「学」に改正されたが、漢字そのものは存在し、台湾や韓国でも使われるであろう。つまり「学」は教育漢字の俗字であり、康煕字典には「學」とある。「髙」は象形文字で高い楼閣の形で、古くから「髙」の字であるが、近世になって「高」が生まれた。日本でも高杉晋作などは「髙杉」と書いたであろうが、明治には「高」と「髙」が両方の字が存在していた。手書きで「髙」と書いても、印刷で「高」となることもあった。戦前は「髙」の字が多いかもしれない。拓本などで「髙」の字を調べる。淑徳大学中国石刻拓本データーベースが便利だ。「髙帰彦造像記」東魏、武定元年4月8日(西暦543年)髙帰彦が白玉の釈迦像を作ったことを記している。文字はもちろん「髙」である。本来の書道の鑑賞は門外漢なのでわからない。
奈良東大寺法華堂の本尊・不空羂索観音像は蓮華台の修理のため2年ほど境内の東大寺ミュージアムに仮安置されていたが、本日「わが家」に戻った。不空羂索観音像は像高362.1cmの巨像で、8世紀前半につくられた乾漆像。三目八臂の形相は、すこしの破綻もなくまとめられ、天平彫刻の理想主義的な傾向を示している。須弥壇中央に安置され、堂内には左から増長天像、広目天像、地蔵菩薩像、帝釈天像、金剛力士像(阿形)、月光菩薩像、不空羂索観音像、日光菩薩像、金剛力士像(吽形)、梵天像、不動明王二童子像、多聞天像、持国天像と12の乾漆諸像を従え、君臨する。
「羂索(けんじゃく)」とは何か。「羂」とは網、「索」とは魚の釣り糸のことで、網を張って鳥をとらえ、糸を垂れて魚を釣るように、人々を救済する。つまり不空羂索観音の功徳は、一切の業障をのぞき、とくに羂索をもって衆生を救済して空しからざらしめるところにある。
月の中の黒い影をめぐって、さまざまな言い伝えが世界中にある。日本ではウサギの餅つきだが、中国では桂の木とそれを切る男に見えるらしい。段成式の「酉陽雑俎」によると、
「昔から月の中には桂樹と蟾蜍があるといわれる。その桂樹の高さは五百丈あり、その傍に1人の男がいて絶えず斧をふるって桂樹を伐り倒そうとするのだが、伐り口がすぐあとからふさがってしまい、いつまで伐っても倒れることがない。男の名は呉剛といい、仙術を学ぼうとして修業をはじめたが、過失があり、その罰として、月中の桂樹を伐る仕事を命じられた」
月桂樹の由来は、月にある桂の木だが、西洋の月桂樹(ローレルlaurel)とは植物の種類が大きく異なる。イギリスの桂冠詩人laureateやオリンピックの月桂冠は南ヨーロッパ原産のクスノキ科の常緑小高木。近年はわが国でも葉や果実に芳香があり、庭木にも植えられる。ノーベル賞の受賞者にはノーベル・ローレイNobel laureateが栄誉の証として贈られる。勝利と栄光のシンボル・ローレイを中国の再生のシンボル月桂樹と混同したのは日本人の誤りである。
地質学者、地理学者の小川琢治(1870-1944)は明治3年、和歌山県田辺村(現・田辺市)に生まれる。明治21年、京都の小川家の養子となり、明治26年東京帝国大学地質学科に入学。明治37年、日露戦争に従軍し、中国大陸の地質調査に従事する。中国歴史地理の著作も多い。冶金学者・小川芳樹は長男、東洋学の貝塚茂樹は次男、理論物理学の湯川秀樹は3男、中国文学の小川環樹は4男。
台湾諸島誌 東京地学協会 1896
日本地理 地学指数 1897
世界最新地図 富山房 1914
近畿地方の土地と住民 1915
支那研究 同文館雑誌部 1916
袖珍改新日本詳図 富山房 1918
袖珍改新世界詳図 富山房 1919
市町村大字読方名彙 成象堂 1923
日本地図帖地名索引 成象堂 1923
地震と都市 大阪毎日新聞社 1924
温泉の研究 内外出版 1925
北支那先秦蕃族考 1926
支那歴史地理研究 弘文堂書房 1928
人文地理学研究 古今書院 1928
地質現象之新解釈 古今書院 1929
桑蓬集 1930
戦争地理学研究 古今書院 1939
一地理学者之生涯 1941
日本群島 弘文堂書房 1944
数理地理学 宇宙物理学研究所 1948
シナトラ映画「ハニー・ローム殺しの追跡」「セメントの女」そして「刑事(デカ)」(1968)。「刑事」が一番よい。ゲイ殺人、汚職、妻の浮気などに悩む刑事もの。共演者も多彩。「十二人の怒れる男」のジャック・クラッグマン、「ゴッドファーザー」のロバート・デュヴァル、「特攻大作戦」のラルフ・ミーカー、「歓びの毒牙」のトニー・ムサンテ、「酒とバラの日々」のリー・レミック、「いつも2人で」のジャクリーン・ビセットなど。この後、シナトラは「ダーティー・ハリー」に出演予定だったが、手首を骨折して、クリント・イーストウッドと降板した話は有名。画像はBoxoffice Magazine1970年11月9日号に掲載された記事。
リー・レミックは悪魔の子ダミアンの母役で知られるが、この映画では多淫症に悩む妻を演じている。55歳で死去。相棒デーブ役のジャック・クラッグマン(画像)は昨年12月に死去。最も美しいハリウッド女優ジャクリーン・ビセットはこの映画ではブレイク寸前。最近スクリーンで見ないが、結婚もせずいまだ独身という。マイケル・サラザンとの恋愛は有名だが同棲だった。(Frank Sinatra)
古代ギリシアでは、あごヒゲを生やしているのが男子の風習であったが、前4世紀のアレクサンダー大王が「戦争中にヒゲをつかまれると不利になる」との理由で「ヒゲを切る令」が発令された。その後、ローマ帝国時代では、奴隷と区別するため、自由市民はヒゲを剃らなければならなくなった。中世から近世にかけてはマルコ・ポーロやダ・ヴィンチ、ガリレイのようにヒゲを伸ばすのが一般的であった。17世紀の絶対王政になると貴族階級ではヒゲを剃る風習が広がった。18世紀の文化人、ボルテールやルソー、カントなどもヒゲは伸ばしていない。だが市民革命によって、ヒゲは反体制の象徴として自由に伸ばすのが流行る。19世紀、西欧社会ではヒゲは大流行する。日本でも封建時代はヒゲを生やすことは禁じられたが、明治の文明開化の気運によって、欧米の風習をまねてヒゲを生やすようになる。伊藤博文や井上馨などの欧化主義者はもちろんのこと、夏目漱石のような洋行帰りの学者たちも口ひげをたくわえた。20世紀になると、チャップリン、ロナルド・コールマン、クラーク・ゲーブルなどヒゲのスターが現れたが、戦後、口ヒゲの似合うスターも少なくなってきた。近年の日本ではジャニーズのタレントがヒゲを生やさないように、清潔で優しいそうなイメージが主流になっている。タモリ「笑っていいとも」最近の女性の本音をアンケート。銀座で100人の女性に「同じ男ならどっちが好き?Aヒゲあり、Bヒゲなし」ヒゲなしを選んだ女性が82人もいた。理由としては「俺、モテるでしょ臭がする」と。
若手演技派女優・安藤サクラがNHK「スタジオパークからこんにちは」に出演。「ケチな生活はしたくない。見切り品を真つ先に買うような」と発言。もちろん個人的意見なので発言は自由。犬養毅の曾孫という恵まれた家庭環境で育ったせいだろうが、現実社会や視聴者をバカにした発言に聞こえてとても不快だ。見切り品とはスーパーなどで賞味期限が近い商品に値引きシールを貼って、捨てないで売ることをいう。資源を無駄にしないでエコであるし、買う行為はケチではなくで、節約と考えるのが普通の感覚である。買って即日食べるのであれば賞味期限が近くとも問題はない。半額であればかなり節約したことなるが、そのような庶民生活がミジメだという言いたいのだろうが、やはり2世タレントは世間を舐めているとしか思えない。
グロサリーストア。グロサリーgroceryとは食料品、生活雑貨、日用品などを総称する言葉で、転じて食料雑貨店のことをいう。
さまざまなお店を英語で表現するのも難しい。豆腐屋や仏壇屋、漬物屋など英米にないので和英辞典に載っていない。漬物はピクルスだろうか。映画「デランシー・ストリート」(1988)はNYのピクルス屋とインテリ女性とのラブストーリー。
pickle shop ピクルス屋
toyshop おもちゃ屋
candy store お菓子屋
coffee shop 喫茶店
drudstore 薬屋
shoe store くつ屋
liquor shop 酒屋
meat shop 肉屋
flower shop 花屋
bakery パン屋
beauty shop 美容院
stationery store 文房具店
bookstore 本屋
barbershop 理髪店
gas station ガソリン・スタンド
jeweler's 宝石店
laundry クリーニング屋
fruit and vegetable shop 八百屋
musical instruments store 楽器店
「すばる」はプレアデス星団の和名で、英語では定冠詞をつけて、the Pleiadesという。星の名前はさまざまな商標などに使われることが多いが、とくにカペラCapella、ミラMira、ジェミニGemini など自動車名に多い。
星占いで使われる12の星座は、おひつじ座Aries、おうし座Taurus、ふたご座Gmini、かに座Cancer、しし座Leo、おとめ座Virgo、てんびん座Libra、さそり座Scorpio、いて座Sagittarius、やぎ座Capricorn、みずがめ座Aquarius、うお座Pisces。
Andromeda アンドロメダ座
Orion オリオン座
Aldebaran アルデバラン
Sirius シリウス
Rigel リゲル
Vega ベガ
Regulus レグルス
Polestar 北極星
Southern Cross 南十字星
西国24番札所・中山寺(兵庫県宝塚市)は聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場。安産祈願の寺として知られる。源満仲(912-997)は、わが子の美女丸を僧侶にしようと中山寺へ修行に出した。しかし、美女丸は武芸のまねごとばかりして、遊んでいた。美女丸が15歳になったある日のこと、満仲が美女丸を呼び寄せて修行の成果をただしたところ、和歌や管弦はもとより、経文も読むことがでないことを知った。満仲は怒って重臣の中務仲光に「美女丸を斬れ」と命じた。しかし、仲光は主君の子の命を奪うことができず、困り果てた仲光の様子を見かねた仲光の子である幸寿丸は、自分の首をうつように願い出た。仲光は流れる涙をこらえながら、わが子を斬り、満仲に差し出して、美女丸はひそかに比叡山の源信僧都のもとに送り出した。
のちにこれを聞いた美女丸は、修行に励み源賢僧都となり、自分の身代わりに命を絶った幸寿丸のために小童寺(川西市西畦野)を建立した。
NHK連続クイズ・ホールドオン(2003年1月4日放送分)で「1月21日にワシントンで行われる米大統領就任式。この時に大統領に就任するのはオバマですが副大統領に就任するのは誰でしょう?①ディック・チェイニー②ダン・クエール③ヒラリー・クリントン④ジョセフ・バイデン」解答者・小泉孝太郎は何と米副大統領の名を知らなかった。1月21日朝、ジョセフ・バイデンは再任の宣誓を行った。アルジェリアの人質事件が象徴する不安定な北アフリカ・中東情勢、そして銃規制や不法移民への対応など国内外の課題が山積するオバマ政権の2期目が始動した。
inauguration就任式、Vice President副大統領、swearing宣誓(Obama,Joseph Biden)
「♪風立ちぬ 今は秋 今日から私は心の旅人」
松田聖子の「風立ちぬ」は、歌いだしからサビの部分がくるし、それもタイトルの決め言葉でインパクトがある。西城秀樹の「激しい恋」も「♪やめろと言われても 今では遅すぎた 激しい恋の風に 巻き込まれたら最後さ」と。堀江淳「メモリーグラス」も「♪水割りをください涙の数だけ 今夜は思いきり酔ってみたいのよ」といきなりサビ。西野カナ「会いたくて 会いたくて」
いま歌謡曲のサビを調べている。やはり初めチョロチョロ、中パッパの曲が多い。次のサビから歌えますか?
「♪だから ねェねェねェねェ 抱いてョ いつものグッバイ言う時みたいに 抱き寄せて たった一言で別れを告げないで」(伊藤敏博「サヨナラ模様」)
NHK連続テレビ小説「梅ちゃん先生」に新人に屈伸運動をさせるなど、風変わりな検査技師岡部を演じている品川徹(76歳)は目立つ脇役である。NTTフレッツ光のCM井上真央、「念力のせいじゃ」というあの老人といえば記憶に残っているであろう。もともと舞台出身の人だが「白い巨塔」(2003)の大河内教授あたりからお茶の間でもよく知られるようになってきた。白衣が似合う知的な印象がある。
朝ドラ「純と愛」の堀内正美がスタジオパークからこんにちはにゲストで出演。堀内は若い頃、人気があり、脇役というより準主役級のスターだった。「17日放送のあなたが主役50ボイスのディレクターは僕が俳優だと知らなかったの。朝ドラを見てないのね」は笑える。かなり知名度のある俳優でもそんなものである。
その晩、映画「黄金の犬」(1979)を観る。地井武男が凶悪犯を演じている。夏八木勲と逃げ回る片目が不自由な小柄な男の名前がわからない。数多くの映画、ドラマに出演しているが、その名前を記憶していない。調べると三谷昇(80歳)という。脇役の名前を覚えるのが楽しい。
明日はセンター試験ということで今夜のMステは受験生の応援ソングを特集。栃木市在住の人に、勉強するときにヤル気が出る曲は?(なぜ栃木かというと「路傍の石」の作家・山本有三の生誕地という理由)。
平成生まれのベスト5
1位 サクラ咲ク 嵐 2005年の予備校のCMソング
2位 女々しくて ゴールデンボンバーズ
3位 栄光の架橋 ゆず
4位 ライジング・サン エグザイル
5位 ウルトラソウル B'z
昭和生まれのベスト5
1位 負けないで ZARD
2位 それが大事 大事MANブラザーズバンド
3位 ダイヤモンド プリンセスプリンセス
4位 さよなら オフコース
5位 どんなときも 槇原敬之
受験生の定番といえば高石友也「受験生ブルース」だが、気分が盛り上がるわけでもないし、背中を後押しするような応援歌でもない。むかしは勉強する時にヤル気が出るような歌はなかったような・・・
Claudia Hartley 「The Color Dance」
女流画家クラウディア・ハートリーはポップな色を使ったわかりやすい絵を描く。まるで色がダンスしているようだ。「色」の単語を集める。
indigo あい色
blue 青
red 赤
ocher 黄土色
orange オレンジ
yellow 黄色
yellow-green 黄緑
gold 金色
silver 銀色
cream クリーム色
black 黒色
ultramarin 群青色
white 白色
violet すみれ色
sky blue 空色
brown 茶色
gray 灰色
flesh color はだ色
rose ばら色
pink ピンク
beige ベージュ
light blue 水色
green 緑
purple 紫
NHKBSプレミアム「追跡者ザ・プロファイラー」(16日放送)ナポレオンのユニークな人物像を多面的に紹介していた。士官学校に入学するとき、コルシカ生まれのボナパルトは海軍を希望したが、陸軍に入ったのは母レティツィアの進言によるものである。少年ナポレオンの人間形成は母の薫陶が大きい。「われの幸運は、そしてわたしの成し得たすべては、母のおかげである」とナポレオン自身が語っている。フランス革命の自由、平等、博愛という崇高な理念も母によるものといえる。番組でこんな逸話が紹介されている。ある日、足の悪い祖母をボナパルト少年はからかうように真似をしたことがあった。レティツィアは厳しくわが子を咎めたという。母が清廉で立派な人格者であったことは確かで、文学者スタンダールは「まれにみる、フランスでは無比の性格ともいえる女性」と讃えている。(Maria Letizia Bonaparte,Napoleon)
地名「北摂(ほくせつ)」のエリアについては、明確な定義がない。古代より京から山陽道に抜ける西国街道が通り、豪族や社寺の荘園がこの地に多数存在した。近代以降、住宅地として開発がすすみ、伊丹空港、東海道・山陽新幹線、名神高速道路、中国自動車道といった交通インフラが整備され、人口移動が活発な地域である。現在の大阪府北部の「北摂」と兵庫県南東部の「西摂」を併せて「北摂」と一般に呼ばれている。含まれる自治体は11市4町。豊中市、高槻市、池田市、茨木市、箕面市、摂津市、吹田市、伊丹市、川西市、宝塚市、西宮市、豊能町、能勢町、島本町、猪名川町。自然と史跡が豊かで、秘湯、紅葉、渓谷美など観光スポットも多い。ただ核となるメジャーな施設がいまのところ不在である。広辞苑の見出し語にも「北摂」は収録されていない。関西から離れた地域に住まれる人が「北摂」のエリアを正しく認識できるかどうかわからない。北摂に居住する人ですら、その範囲はあやふやである。
ドラマ「鈴木先生 6話」までを観る。河辺彩香(小野花梨)が不登校の竹地の住むマンションへ行って、避妊せずHにおよぶ。そして学友の告げ口により元カレとのトラブル発生。あまりの過激な展開にめまいがする。おそらく最後まで避妊が重要なテーマになっていくらしい。避妊しない主義の鈴木先生と避妊指導をしている足子先生とは対立している。ドラマの感想は人それぞれあるが、避妊=良識というモラルには一石を投じたといえる。戦前、日本社会には避妊という観念は無かった。農村では働き手が多いほどよく、10人以上産むことはざらにある。大正にアメリカからサンガー夫人によって産児制限の思想が導入されたが、このころは産めよ増やせよ時代。庶民は「貧乏人の子沢山」状態で我慢していた。戦後、ベビーブームが到来し、このままでは日本が餓死列島と化すると危機を感じ、1954年、サンガー夫人は再来日している。その後、学校教育などにより避妊が普及していく。だがこのテーマは学園ドラマではタブー視されてきた。最終回まで如何なる展開となるのか楽しみにしたい。(Margaret Sanger)
ペイトンプレイスとはニューイングランドにある架空の小さな町。ミア・ファローのドラマ「ペイトンプレイス物語」(1965)が有名だが、元祖はグレイス・メタリアスの小説「ペイトンプレイス」。映画化され邦題はラナ・ターナー版が「青春物語」(1957)、続編エレノア・パーカー版が「青春の旅情」(1961)。むかし「青春の旅情」が数回テレビで吹き替えで放送されたので観た方も多いのではないだろうか。「青春の旅情」の原題はReturn to Payton Place。田舎町に住む少女アリソンが書いた小説がベストセラーになる。アリソンはニューヨークの出版社のジェフ・チャンドラーと恋愛関係になる。だが町ではスキャンダルが暴露されたことで騒動に発展する。アリソンとジェフはペイトンプレイスに帰郷する。アリソン役のキャロル・リンレイはお人形のような可愛い顔立ちで人気だった。同年制作の「ガン・ファイター」でもカーク・ダグラスの相手役となっている。劇中では16歳とあるが実は19歳だった。「ガン・ファイター」では母親の黄色いドレスを着てカーク・ダグラスとダンスを踊るシーンが有名である。少女スター、キャロル・リンレイは今日「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)の歌手役で知られるが、人気の絶頂期は1960年代だった。(Peyton Place,Carol Lynloy)
カーク・ダグラス、キャロル・リンレイ、ドロシー・マローン、ロック・ハドソン
NHKが平日昼に放送している連続クイズホールドオンにまことに奇妙なルールがある。チャンピオンが勝ち続けるといつまでも出場できるのだが、もし4人の挑戦者のうち最高得点者が同点の場合、チャンピオンが対戦者の中で好きな人を選ぶことができる。有り体に言うと、アホ顔が有利なのだが、実際は容姿や年齢で選ぶより、判断には性差が大きく左右するようである。これまで番組をみているが、男女が同点の場合、ほとんどのケースとして女性を選択している。これは沈没した船で男より先に子供・婦人を救命ボートに乗せるという世界共通のルールと同じ思考なのであろうか。チャンピオンも選ばれなかった人に対して申し訳ないという気持ちがあるのか、挑戦者の特徴点をあげたりして選択の理由付けをするケースもある。しかし基本的に男女が同点の場合、女性を選ぶことに視聴者の納得を得やすいらしい。これは男尊女卑の裏返しで、男を選択すれば、視聴者からのブーイングをかうおそれがあるからであろう。劇場型クイズといえる。挑戦者に選ばれなければ勝ち残れないから、番組は明らかに女性有利という結果になる。男はつらいよ、文句なしに勝ち残るしかない。
昨年のアカデミー賞の授賞式で、ほとんどのセレブが高級そうな退屈なスピーチをしていたが、ブラッド・ピットの話だけは実体験を率直に語ったものだった。幼い頃見た日本の怪獣映画「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」を見た感動は今も忘れないと言う。善の怪獣が身を犠牲にして悪の怪獣を倒す物語。日本人がみれば古事記の海彦山彦の物語がベースとなっていることがわかるが、外人の目にはどのように新鮮に映ったのかわからない。ラス・タンブリンが科学者として出演しているのでアメリカでは劇場公開されてヒットし、その後もカルトムービーといわれた。クェンティン・タランティーノ監督なども日本や香港の活劇などを評価している。海外で評価の高い作品に「ガス人間第一号」(1960)がある。図書館司書の男性が家元の舞踏家に立派な発表会を開かせようと人体実験に応じるが、ついにはガスのような体に変質してしまうという悲恋物語。異国的にムードもあって海外では評判がよい作品である。土屋義男や水野久美は海外で知られた日本のスターなのである。
CSの再放送ドラマでは松本清張をよくやっている。最近もTBS「危険な斜面」(2000)田中美佐子、風間杜夫、日テレ「一年半待て」(1984)小柳ルミ子、勝野洋を見る。「一年半待て」は最近、夏川結衣でも見た。小柳版は佳作。昨夜は地上波で「寒流」を見る。暖流(勝ち組)と寒流(負け組)。寒流はどのようにあがいても暖流に勝てないというのだろうか。「黒い画集」の一編で、原作では車をすり替えて、沖野が桑山に復讐したところで終わっている。何度かドラマ化されて、前川奈美が政務官に工作して、沖野が網走支店へ左遷されるような結末に改変されている。つまりテーマが女が地位のある男性を求めて渡り歩く上昇志向へと変わっていっている。売り出し中の芦名星だからこのような改変もありうるだろう。原作は沖野の桑山への復讐心がテーマだった。リストラが当たり前の時代、寒流(負け組み)も銀行の地方支店長ならまだいいのではないかという気がする。視聴者からは自分の車と中古車を間違えるはずがないという意見もあった。50年以上前はキーを差したまま駐車していたらしい。銀行の頭取がヤクザを使って沖野を脅すという設定も今ではあり得ないだろう。清張ドラマの場合、時代背景を現代に移し変えるのか、当時のままにするのか悩ましいところである。
亡き父の跡を継いでビブリア古書堂の店主となった篠川栞子(しおりこ)は、内向的な性格で人の目を見て話すことができない。だが古書に関する知識は膨大で、本について話しだすと止まらない。ある日、五浦大輔が店を訪れ、祖母が持っていた本を売りたいという。夏目漱石のサインが入った本から、栞子の推理が始まる。献呈署名、大輔→代助、祖母の不倫。着想は面白い。原作は三上延の人気小説「ビブリア古書堂の事件手帖」である。剛力彩芽というキャスティングにはイメージが異なるという意見も噴出した。原作には「髪の毛が長く、眼鏡で、巨乳」とある。ショートで清楚な剛力栞子もいい感じだ。陽光を浴びながら本に囲まれる佇まいが神秘的で美しい。
ドラマ終盤近くセドリ屋の志田が「小山清の落穂拾いが盗まれた」と叫ぶ。小山清(右画像1911-1965)は一般には有名ではないかもしれないが、太宰治の弟子で不遇の小説家である。心あたたまる作風から近年評価は高い。彼の代表作「落穂拾い」(1952)は緑陰書房という古本屋の娘を描いている。栞子の原型は西川清子(「落穂拾い」のモデルといわれる)ではないだろうか。
ジョン・アーヴィングの自伝的小説「ガープの世界」(1978)で主人公ガープはウィーンのハプスブルガー通りの古本屋で劇詩人フランツ・グリルパルツァー(1791-1872)の著作を見つける。ガープの処女作のタイトルは「ペンション・グリルパルツァー」という。
1月15日のこの日は、オーストリアで最も有名な劇作家グリルパルツァー(グリルパルツェルと表記されることもある)の誕生日。かつては、その誕生日は国民の祝祭日となっていた。でもその名前は日本ではほとんど知られていないだろう。ブリタニカ国際大百科事典には詳細な記述があるので、やはり世界的な作家であることは間違いない。翻訳大国日本でも見落とした作家がたくさんいるようだ。
いま彼の名前が日本で知られるのは次の一編の詩によるところが大きい。
接吻
手の上なら尊敬のキッス
ひたいの上なら友情のキッス
頬の上なら好意のキッス
くちびるならば愛情のキッス
閉じた瞼は憧れのキッス
手のひらならばお願いのキッス
腕首ならば欲望のキッス
さて、そのほかは、みんな狂気の沙汰である。
弁護士の子としてウィーンに生まれ.る。生涯独身でウィーンで過ごした。大学在学中に父を亡くし、家計を支えるため官庁に勤め、1856年に65歳で退職するまで役人のかたわら宮廷劇場の座付作家をしていた。主な作品「祖先の女」(1817)「サッフォー」(1818)「接吻」(1819)「金羊皮」(1822)「オトカル王の幸福と最後」(1823)「主人の忠実な従者」(1828)「海の波、恋の波」(1831)「黒海の悲歌」(1835)「夢が人生」(1834)「偽る者に災いあれ」(1838)「哀れな音楽師」(1848)「ゼンドミール僧院」(1828)。
晩年になってからグリルパルツァーの作品は認められ、次々と名誉を与えられたが、それはあまりにも遅すぎた。1872年1月21日ウィーンで死んだときは広く哀悼された。遺稿から「トレードのユダヤ女」「ハプスブルク家の兄弟の争い」「リブッサ」が発見された。
英国キャサリン妃の肖像画が公開されたが、「老けてみえる」「表情が険しい」「活き活きしていない」などの批判が噴出している。絵は画家ポール・エムズリーが数ヶ月かけて制作したもの。写真ではないかと見間違えるほど写実的なのだが、どうも本人と印象が違う。本物のキャサリン妃はもっとチャーミングな女性である。ある評論家は「長年、いろいろな肖像画を見てきたが、もつとも退屈でありふれた出来のひとつ。街の写真屋の窓に飾られてある写真みたいである」と散々な評判である。肖像画は難しい。
眉毛が太くギョロッとした目で知られる西郷隆盛。実は西郷隆盛は大の写真嫌いで生前一枚も写真を残していない。イタリアの版画家エドアルド・キヨッソーネが明治政府の依頼で制作した西郷隆盛の肖像画は、西郷の親戚の写真を参考にしたもの。キヨッソーネは西郷本人と一度も面識がなかったので、似ているとは思えない。西郷本人を知る関係者の話でも「まったく似ていない」「なんとなく似ているが、どうも印象が違う」という微妙な出来栄えらしい。だが今日ではほとんどの日本人が西郷どんといえばキヨッソーネの西郷の肖像画をイメージするから面白いものである。
HDDに録画した旧作をぼつぼつ観る。「黄金の七人」(1965)。フィリップ・ルロワとロッサナ・ポデスタ、それに5人の男たちがスイスの銀行から時価5億円の金塊を盗む話。むかし見た記憶はあるが、結末が思い出せない。「トプカピ」(1964)と記憶が重なっている。見直すと、ローマのコロセウム付近で金塊を積んだトラックのブレーキがゆるんで、坂を急降下して屋台にぶっかって金塊があたりに散乱して万事休す。ところで主役のフィリップ・ルロワはどうしているのだろうか。ネットで調べたら現在も眼光鋭い矍鑠とした老人であった。出演作には娯楽作品も多数あるが「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(1972)のような文化的な作品にも出演している。トップスターなのに日本語版ウィキペディアには人名項目がない。(Philippe Leroy)
いまさらながらドラマ「鈴木先生」はとてもいい。2011年放送時は2%という低視聴率だったが、2012年ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞を受賞している。長谷川博巳扮する鈴木先生は中学校2年A組担当の教師。恋人はいるが、生徒の小川蘇美に淫らな妄想を描いている。だがギリギリのところで理性で抑えようとしている毎日である。Lesson2「14歳優等生の反乱!給食廃止で教室炎上」では酢豚の廃止をめぐって議論が沸騰。優等生の男子が食事マナーの悪い女子に警告するために問題行動を起こす真相に迫る。鈴木先生の良いところは、叱って行動を改めるのではなく、しっかりと考察し中学生の心を理解したうえで解決策を生徒と共に導き出すところにある。金八先生の熱血型に対して、冷静なコーチング型の教師。現実ではまだ体罰教師がいるが、ぜひこのドラマを観て鈴木先生から学んでほしい。
本日は「たばこの日」。1946年のこの日、高級たばこ「ピース」が発売された。タバコの伝来はポルトガル人が鉄砲とともに伝えたといわれる。栽培時期と場所については諸説あるが、1599年、長崎氏の居城桜馬場城の城下にあったトードス・オス・サントス教会の菜園で初めて栽培されたといわれる。1606年には、大隅国分の服部宗重が国分梅木に試作して、これ以後全国各地に広まった。
大坂冬の陣では、全国の諸大名の軍勢約20万が、城を包囲していた。この1ヶ月余りの期間、雑兵は町人が売り歩くものを味わい、酒を飲んだ。酒はすでに広く飲まれていたが、タバコが全国に広まったのは大坂冬の陣がきっかけである。江戸幕府はぜいたく禁止と火災予防のため1609年にタバコ禁止令をはじめタバコの栽培と喫煙を取り締まった。しかしタバコは嗜好品として庶民の間に広まった。明治政府は1876年にタバコ税を課した。日清戦争後の増税対策であった。そして日露戦争中の1904年に完全な専売制をしいた。近年、タバコの健康への被害が指摘されたが、政府は東日本大震災後の財源確保のためタバコの論議が再び活発化している。
むかしゴーデンバットは10銭だった。(昭和16年)当時の物価では、もりそば1杯、帝国図書館の特別閲覧料も1回10銭。たばこ1箱の値段はひとつの基準だった。(1月13日)
ウナギと梅干、スイカと天ぷら、タニシと蕎麦、カニと柿など同時に食べると下痢や腹痛などを起こして、よくないと言われてきた。こうした食べ合わせはほとんど陰陽五行説から出たもので科学的根拠はない。ウナギと梅干は、ウナギの脂っぽさを梅干の酸味とマッチしていて無害。だが天ぷらとスイカは、スイカの水分が胃酸を薄めるため、胃腸の悪い人には消化にわるいという。
最近、調布の小学校でアレルギーの女児が給食のチーズが入ったチヂミで死亡するという事件があった。乳製品アレルギーの人でなくても食べ合わせに注意する必要がある。Aさんは風邪気味なので鼻炎薬を飲み、昼食にチーズ・サンドイッチを食べた。ところが心臓がドキドキとしはじめ、頭痛がする。顔や腕に赤い斑点がでてきて、あわてて救急車を呼んだという。これはチーズに含まれているチラミンと薬に含まれる塩酸フェニルプロパノールアミンが反応して血圧を急激に上げたためとみられる。チーズと赤ワインなども危険である。食べ合わせには注意が必要である。
朝テレビをつけると女優の菅野美穂がインタビューを受けている。日本テレビ「ウェークアップぷらす」。最後の質問がもったいぶった聞き方で菅野は戸惑い「ええ~?ちょっと意味わかんない。禅問答?」といいつつも、笑顔で「死ぬときですね、孫たちに囲まれてピンピンコロリとあの世へいきたいですね」と言っていた。質問はこれからの女優として究極のめざすところを聞きたかったのだろうが、35歳の彼女に死ぬ瞬間を想像させてしまった。司会の辛坊治郎も苦笑していた。しかし菅野美穂の飾らない明るい人柄が表れていた。年齢を重ねるごとに魅力的になる女優もめずらしい。
ところで人生の最期といえばだれしも孤独死や餓死を嫌うであろう。若い人は孫たちに囲まれて大往生を願うだろう。しかしある年齢がすぎれば、大勢の家族などわずらわしいと感じることのほうが多い。トルストイのように旅に出て死ぬか、マンションの一室での白骨化した遺体も受け入れられるようになる。そのような気持ちになるのは若い人にはとても理解できないだろうが、年齢や身体の変化で自然と気持ちも死を受け入れやすくなるように感じる。
大阪は人情のある温かい町というのがこれまでのイメージだった。ドラマなどでも東京でダメでも大阪なら何とか生きていけるといった設定をよくみる。ところが大阪の犯罪率は全国一。昨年のひったくり件数1687件は、2番目に多い埼玉県を400件近く上回っている。路上強盗や車上強盗、強制わいせつなども多い。日本一治安の悪い街である。また大阪桜宮高校(都島区)の体罰自殺。大津のような隠蔽体質が問題視されている。尼崎のコンクリート殺人、川西のイジメなど関西のイメージ低下は避けられない状況である。
意外なものが雨といっしょに降ってきたことが、これまで世界各地で記録されている。アリ、カタツムリ、幼虫、鳥、ネズミ、犬、猫などの動物が降ってきた。また空からおびただしい魚やカエルが降ってきたという現象が、これまで世界の至るところで報告されている。2007年にセルビアでカエルの雨が降り、2008年にはインドで魚の雨が降った。石川県七尾市では2009年6月、体長2㎝くらのオタマジャクシ約100匹が突然降ってきた。石川県の2012年10大ニュースの3位に今年もオタマジャクシが降ってきたことが挙がっている。竜巻が発生したという記録はなく、いまだ原因は誰にも説明できない謎の現象である。
織田作之助は、太宰治、坂口安吾とともに、戦後三無頼作家の一人にかぞえられている。志賀直哉などの私小説への反抗から「二流文学論」「可能性の文学」などの評論により、 リアリズムを否定し、虚構をリアライズすることこそ、これからの文学の新面目があると説いた、その矢先の死である。昭和22年1月10日、享年34歳。処女作「雨」から勘定すると、8年ばかりの創作活動である。しかも、彼の愛した大阪においてでなく、上京中の銀座裏のバラック建ての佐々木旅館という客舎で仆れ、芝の東京病院で息を引き取っている。彼はすでに結核の末期的症状に侵されていたが、ハシゴ酒の末、深夜に帰宅すると、まもなく大喀血となり、ついに東京病院に運びこまれ死去した。
同志社大学の近くにある新島襄旧邸がNHK大河ドラマ「八重の桜」の影響で見学者が急増している。明治11年に新島襄とその妻・八重の私邸として建てられた。和洋折衷の木造2階建。「歴史秘話ヒストリア」でも日本最初の様式トイレとして黒田あゆみが紹介していた。「ぐるっと関西おひる前」ではワッフル・ベーカーを紹介。明治20年代頃には家庭で西洋焼き菓子ワッフルを食べていたらしい。左京区の金戒光明寺では特別展「会津の武士道」が開催されている。八重の直筆や松平容保の遺墨、藩士の鎧兜など戊辰戦争の貴重な資料が公開されている。来週の「歴史秘話ヒストリア」は白虎隊。4日の新春スペシャル「連続クイズホールドオン」の問題もほとんどNHKの番組に関わる内容のものであった。スタジオパークのゲストもほとんどNHKの番組の出演者たち。いまNHKの番宣が凄いことになっている。
ところで新島襄はアメリカの友への手紙で「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です」と書かれていることから、八重はハンサムウーマンと称された。ドラマでは過去、栗原小巻、現在は綾瀬はるか、と当代の美人女優が扮している。昨夜の「歴史秘話ヒストリア」の再現ドラマの八重もとてもチャーミングだった。大きな瞳に強い意思。「ショムニ」の宝生舞にソックリと思ったら何とご本人だった。
出雲の国は古代日本の政治的宗教的一中心地であった。旧暦10月は全国の神々が、出雲大社に集まるので、この月は諸国は「神無月」であったが、出雲は「神在月」であるという伝承は、よく知られている。出雲大社では特別な行事もいろいろあるが、そのなかでも神幸祭(しんこうさい)が毎年8月14日の晩に行われる。古伝の神秘的な神事のひとつで「身逃げの神事」とも呼ばれる。装束姿の神官が青竹の杖を持ち、左手には苞、火縄を持ち、神社を巡る。神事の途中に人に会えば穢れてしまったとして本殿に引き返して、神事をやりなおす。そのため、この夜は氏子はすべて謹慎して門戸を閉じて、外出しない習慣になっている。もし神さまの行列に出会うようなことがあると、たちどころに死ぬと伝えられている。
ところが、ある男が「なあに、そげなことがあるもんか」といって、わざと家を出て、道端の並木の陰で待っていた。するとやがて、高張ちょうちんを先頭に、赤竹の杖と真菰の苞と、火縄筒とを持ち、お供をしたがえた神さまの一行がやってきた。男はさすがに気味悪くなって、じっと背をちぢめ、見ていたが、とうとうその姿は神さまに見つかってしまった。「あれはなんだ」とお供の者に聞かれた。お供の者は、はっとしたが、とっさに機転をきかして、「あれは犬です」と答えた。神さまは、「そうか」と言ったが、そのとたん男は本当の犬になってしまった。
むかし母とテレビを見ていると、突然、「あっ、市川百々之助だ」と指をさす。戦後の東映時代劇では脇に回っていた。昭和初期、帝国キネマのチャンバラ映画では大スターだった。マキノ、日活と関係がなかったため人々から忘れ去られてしまった。
昨日、戸田恵梨香主演の「書店員ミチルの身の上話」を見ていると、家内が「あっ、この人、むかし見たことある」という。名前が出てこないらしい。ミチルの買った宝くじが2億円当たったことを告げる女である。私が見て、かなり年をとったが田島令子であるとことがわかる。番組ホームページでキャストの欄をみたが確認できず、さらに詳しくネットで調べていくと「池袋の宝くじ売り場の女・田島令子、長崎の宝くじ売り場の女・大島蓉子」とある。ミチルが東京へ出奔して、池袋で宝くじが当たったことを知る。台詞わずかである。しかし田島令子ほどの人気女優にしては出番が少なすぎる。このあと出番があるのだろうか。若い人はバイオニック・ジェミーやエメラルダスなどの吹き替えで知られるが、私は女優としての印象のほうが強い。映画「ゴジラ対メカゴジラ」や「キーハンター」「プレイガール」など単発のゲスト出演をしていたが、幼児向の童話朗読番組でシュールな話をする彼女はとても魅力的だった。先日、田島令子がNHKのスタジオパークに登場。かなり浮世離れした感じがとても女優っぽい。おそらく独身なのだろう。身の回りには手紙とか自分の痕跡がわかるものを残さず処分するという。ある日、突然死んで、他人に見られるのが嫌だという。
1月5日放送の「連続テレビ小説スペシャル」を見る。1961年の第1作「娘と私」から第87作「純と愛」までを紹介。「おはなはん」「雲のじゅうたん」「おしん」「ちゅらさん」など記憶に残る。だが1981年の「まんさくの花」に関してはほとんど紹介がない。ヒロイン中村明美が現在あまり見かけないからだろうか。実は「まんさくの花」は日本酒の銘柄として有名なのでNHKとしては紹介しずらいという事情があるのではないだろうか。舞台となった地元の日の丸醸造は番組にあやかって、吟醸酒「まんさくの花」を製造した。普通の便乗商品であれば、いつの間にか消えてしまうものだが、この酒は味のよさとが口コミで広がり、全国にファンを持つ地酒となった。
AKB48は言わずと知れた東京・秋葉原(アキハバラ)を拠点として「会いに行けるアイドル」として活動を展開した。電気街・秋葉原に集まるオタクをターゲットにした戦略だった。アキバ系アイドルのルーツは誰か?1991年に九十九電気が越智静香を起用し、ジューシー・フルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」をツクモパソコン本店地下にてイベントを開催したのが始まりといわれている。テレビ東京の番組「秋葉の連中」で、森田理香や宇佐美なな、原田明絵、きこうでんみさ、葉里真央などが登場した。2004年「電車男」の大ブームでアキバ系という言葉は一般に広まった。2005年に桜川ひめこ「アキバに行くのん!」がCD発売されている。秋葉原は「アキハバラ」と読むが、もとは秋葉神社に由来し、「アキバハラ」が正しい。最近、「アキバ」と略されることから、また「アキバハラ」と読むことも復活している。
本日より営業開始。昨日は最後の正月休みで家内と梅田へ買い物。大阪駅周辺はここ数年だいぶん変わったが、なんと4年ぶりである。梅田の百貨店で知人が経営する店でパンを買う。洋服売り場ではお目当ての店が3年前から撤退していた。化粧品売り場でアドバイスと全部かみさんの用事につきあわされる。本屋へは寄らず。ハマノコンタクトは店員やらお客さんなど綺麗な女性ばかり。1970年代から梅田は知り尽くした街だったが、浦島太郎のように感じる。帰りの電車で女性から席を譲ってもらった。お年寄り扱いされたのは生れて初めて。ご好意を素直に受けることにする。昨日、兄貴の家で階段から転倒したが怪我はたいしたことなかったが、久しぶりに歩いたせいで、今日は足がすこし痛い。
現在47都道府県の名を起源で分類すると次のようになる。①県庁所在地の都市名に基づくもの(京都、大阪、鹿児島など30都道府県)②県庁所在地の郡名に基づくもの(大分、宮崎、石川など14県)③県庁が所在する郡より広い広域地名に基づくもの(沖縄)④県域全体を示す新作地名に基づくもの(北海道、愛媛)
本来、県名は藩都に置かれるのが普通であるが、戊辰戦争で反抗したところは懲罰的に藩都を県庁所在地にさせてもらえなかった。たとえば青森、山形、福島、新潟は普通であれば、弘前、米沢、会津、長岡が県庁所在地になっていたであろう。
都道府県名で、共通する文字といえば「山」がトップで山形、山梨、富山、和歌山、岡山、山口の6県。次点は「島」で福島、徳島、広島、島根、鹿児島の5県。続いて「川」が神奈川、石川、香川の3県と、「岡」が静岡、岡山、福岡の3県である。
国や文化が違っても似ているような表現がある。日本では「捕らぬタヌキの皮算用」(どうなるかわからないことをあてにして、計画をたてること)とあるが、英米では次のような表現がある。
First catch your hare then cook him.まずウサギを捕える。料理はそのあと。
Don't count your chickens before they are hatched.孵化する前にニワトリを数えるな
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「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざは、漢文からきたものではなく、ローマのことわざである。
If you run after two hares you will catch neither.
NHKクイズバトル47出題「東野△の意味は?」ネットで見られる若者記号で(人の名前)三角形△で「~さん、カッケー(カッコイイ)」。つまり東野幸治さんカッコイイという意味である。
1月1日にアメリカの歌手パティ・ペイジが死去した。86歳だった。パティ・ペイジといえば「テネシー・ワルツ」、日本では江利チエミがカバーしたことで知られる。だがこの曲は1948年にピー・ウィー・キングがレコーディングし、1950年にパティ・ペイジが歌って世界的に大ヒットした。進駐軍のキャンプ巡りをしていた14歳のチエミはある日、GIから「テネシー・ワルツ」の2枚のレコードをプレゼントされた。チエミはこのレコードを何度も聴いて覚えた。そして1952年1月、キングレコードからデビューし20万枚のヒットとなった。チエミが最初に覚えた2枚のレコードとはジョー・スタッフォードとP・W・キング盤といわれている。(The Tennessee Waltz,Patti Page,Pee Wee King,Jo Stafford)
親がいいと思って付けた名前も成長した子供が名前で周りからからかわれたりイジメられたりするというケースもあるらしい。「ありさ」という名前。年配の者だとアンドレ・ジイド「狭き門」の清らかな永遠の聖女アリサを連想する。極上の名前だが、あやかり名前によくあるのは「名前負け」である。当時、観月ありさが売れていて、当人が太っていたのでからかわれたというケース。
次の事例は芸能人ぽい名前である。あるお父さんは女児の名前を「あきな」と付けたかったが、周りから「中森明菜」「アッキーナ(南明奈)を連想し、芸能人ぽいとして反対された。「あきな」という響きはとてもよく、いまでも古さを感じないので、漢字を変えて「秋奈」「明希菜」にしようと思っている。
名づけで画数やイニシャル(たとえばWC、NG、SM、ETなど)が気になるということ。あまりいろいろ気にしすぎて希望するような名前をつけられなかったという事例も多い。
最後は将来へのぼんやりとした不安。たとえば真知子、江梨子、菜穂子など綺麗な女性を連想させるが、子供が成人したときに古臭いという印象を与えるかもしれない。結衣、萌、美咲など当世風の名前も20年後どのように受け取られるかという不安がある。名前は親から子供への最初のプレゼントというが、うれしくもあり悩ましくもある。
京都・西芳寺(西京区松尾神ヶ谷町)は、洪隠山と号し、通称苔寺と呼ばれ知られている。寺伝では、天平年間(729-749)に行基が開いたと伝えられ、その後、暦応2年(1339)に夢窓疎石が禅宗寺院として復興した。この時もと西方寺の名を西芳寺に改め、平地部に2層の楼閣を持つ瑠璃殿をはじめとする庭園建築と花木に彩られた池庭を、また山腹には洪隠山と呼ばれる枯山水石組と座禅堂指東庵を配し、華やかな風景を呈した。
夢窓疎石(1275-1351)は生前没年を通じて、7人の天皇・上皇から国師号を贈られたことから、「七朝の国師」といわれ夢窓国師といわれる。鎌倉幕府が倒れて、室町幕府となっても、夢窓は宗教的・政治的にはおおいに権勢を振るった。たとえば、全国66国2島に安国寺と利生塔を建立したり、後醍醐天皇の冥福を祈るため、天竜寺を創建した。夢窓は若い頃から全国を巡って自然の中で座禅行につとめ、自然と人間の本性を究めて悟りを開いたが、西芳寺の庭をなぜ苔でおおったのであろうか。彼は「夢中問答」の中でこういっている。
白楽天小池をほりて、そのあたりに竹をうゑて愛せられき。その語に云はく、竹はこれ心虚しければ我が友とす。水はよく性浄ければ吾が師とすと云々。世間に山水をこのみたまふ人、同じくは楽天の意のごとくならば、実にこれ俗塵を混ぜざる人なるべし、或は天性淡白にして俗塵の事をば愛せず、ただ詩歌を吟じ泉石にうそぶきて心をやしなふ人あり、煙霞の痼疾、泉石の膏肓といへるはかやうの人の語なり。これをば世間のやさしき人と申しぬべし。
唐の詩人白楽天は池と竹とを愛した。竹は内部が空洞なので心にわだかまりのない人に似ているし、池の水は清らかに澄んでいるので自分がたえず学ぶべきものであると考えた。苔をめでる心情を俗塵を離れて自己の心を養うのに、苔ほど庭にふさわしいものはないと考えたのであろう。夢窓は天竜寺、西芳寺のほかにも、恵林寺、瑞泉寺、永保寺などにすばらしい庭園を作っている。これらの庭は枯山水様式の源流となり、のちの日本庭園の規範となった。後の室町将軍足利義満義政も西芳寺に憧れ、瑠璃殿を手本に金閣銀閣が造られた。
だが現実の夢窓国師はなかなか俗塵から離れることはできなかったようである。夢窓はあるとき師の高峰顕日から「弟子をもち、法を後世に伝えよ」とさとされた。夢窓はこの教えに従い、じつに1万人をこえる門人を擁するようになった。しかも彼の門下からは無極志玄、春屋妙葩、龍湫周沢、義堂周信、絶海中津らの、禅宗の中心人物や五山文学の人物が輩出した。このような権勢を誇った夢窓であったが、純粋禅の立場の人々には評判は悪かった。花園上皇と宗峰妙超は、夢窓の禅は天台・真言の範囲を一歩も出ていない。あれでは禅宗も滅びたも同然だ、と酷評されている。
西芳寺作庭は夢窓疎石によるものだが、意外なことに、苔庭は、当初から意図されたものではなかった。戦乱と洪水で寺は荒廃した。現在のような苔を主体とした庭になったのは江戸時代以降のことで、あの湿潤な地と自然の営みがあいまって、偶然に造りだされた奇蹟の庭といわれる。苔を美しく保つためには掃除が欠かせず、とくに落葉は光を遮り苔を殺してしまうので、庭師が丹念に毎日掃除している。
昨夜の紅白で和田アキ子が森光子と中村勘三郎を歌で追悼したことが話題を呼んでいる。2人はかつて紅白司会者として活躍され同番組にゆかりが深く、和田と交友関係にあったという。その年に死去された有名人を歌で追悼するという趣向はいつ頃から始まったか知らないが、過剰な演出で追悼ショーをするのは感心しない。ネットで感動したという声も聞くが、はたして敬虔な心からであろうか。数分後には場面は変わりオリンピックのヒーローたちが登場し、また別の感動を呼び起こすのである。視聴者は映像の送り手側からの作られた感動を共感するという不自然きわまりないものである。故人と一度も面識のない一般視聴者が心から涙するものであろうか。中村勘三郎はまだ早すぎた死去であるが、森光子は天寿を全うしたといえる死ではないだろうか。また歌番組紅白で追悼するなら、伊藤エミ(ザ・ピーナッツ)、桜井センリ(クーレージー・キャッツ)、芦野宏、尾崎紀世彦など何度も紅白でステージを飾った歌手が亡くなっているではないか。追悼ショーは数年前に堀内孝雄が河島英五の映像と一緒に歌ったのが好評だったからだろうか。これが続くなら毎年誰か亡くなるし追悼ショーが見世物的になるだろう。ある審査員は紅白を「龍宮城」と言っていた。歌や踊りで現世の死など忘れる夢のステージである。演出過剰でてんこ盛りにするのは興ざめである。
昨夜の紅白。MISIA、いきものがかり、斉藤和義やSKE48藤本美月のバク宙も良かったけど、やはり圧巻は美輪明宏の「ヨイトマケの唄」。子供の時、この歌を聴いてマンガを読むのをやめて勉強に集中しようと思った。あれからこの歌は禁止ではないけど、あまりメディアが取り上げなくなったが、今、この歌のメッセージ性が改めて人々に訴えているものがある。当時は丸山明宏と名乗って、あやしいまでの美青年だったが、表現力にさらに磨きがかかったようだ。
紅白各25組のなかで誰が一番長身だろう?和田アキ子はそれほど高くなく173㎝くらい。NYCの中山優馬は背が伸びたのか175㎝くらいはある。舘ひろしは公式では181㎝とあるが、177㎝の氷川きよしより低かった。舘、氷川より高かったのは「やさしくなりたい」の斉藤和義である。181㎝以上はある。TOKIOの長瀬智也が185㎝。コブクロの黒田俊介が一番背が高くて、193㎝くらいである。
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