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矢頭右衛門七の妹の墓(見立寺)
矢頭右衛門七(1686-1703)は大石主税に次ぐ年少で、凶変のとき僅か17歳であった。父の長助とともに義盟に加わったが、長助は病死。討ち入りのとき右衛門七は槍を手に父の遺品の腹巻鎧を着て勇戦した。ドラマでは母が足でまといになるのを嫌って自害する話があるが、実際は母と娘3人は叔母の嫁ぎ先の奥州白河に身を寄せる。
埼玉県川越市の見立寺には矢頭右衛門七の妹の墓がある。次女は多賀谷家の勝盛と結婚。白河藩主の国替えに伴い、上州厩橋へ。その後、1764年川越に移転して、翌年70歳代で病没している。
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