眉輪王、東漢駒、義経
日本歴史で殺害された天皇は何人いるのか?流刑地で没した天皇を除いて、直接に危害を加えられ、殺害もしくは自殺した場合である。456年眉輪王は安康天皇を殺害。592年蘇我馬子の命を受けた東漢駒は崇峻天皇を殺害。672年大海人皇子は弘文天皇を殺害。1185年、源義経は壇ノ浦で平家軍を攻撃。安徳天皇は祖母に抱かれて入水自殺。つまり4人。弘文天皇は壬申の乱により敗れ、天武天皇が即位したので除く。眉輪王、東漢駒、源義経が共通するのは、それぞれ雄略天皇、蘇我馬子、源頼朝らに殺害されていることである。天皇殺害は重罪である。とくに微妙なのは義経か。義経は安徳天皇と神器の奪還の命を受けていた。しかし結果的には安徳天皇と三種の神器のうち剣が失われてしまった。もちろんこの責めは義経ひとりのものでないだろう。この戦は安徳天皇・平家vs後白河天皇・源氏であり、臣下の義経の私闘ではなかったはずである。義経を眉輪王・東漢駒と同列に論ずることはできない。
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