多聞正清の謎
現在CSで放送しているドラマ「大坂城の女」(1970)で豊臣秀吉の大坂城築城秘話が描かれている。秀吉の側室京極竜子と大工の棟梁多聞正清との愛が哀しい。ところで多聞正清は実在の人物であろうか。
大坂城はもと石山本願寺のあったところに、秀吉が諸大名に命じて日に平均3万人という人夫を動員し、天正11年から本丸内堀の石垣普請がおこなわれ、天守はわずか1年余で完成したという。だがこうして完成した大坂城は秀吉の死後、秀頼が居城したが、大坂夏の陣で焼失し、完成から30年しかもたなかった。多聞正清の名は史書に現れず、建設は中井正吉が法隆寺大工を指揮したとある。しかし正吉の子、正清が優れた城造営の名人であることから、多聞正清とは中井正清(1565-1619)のことであろうか。
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