若杉鳥子
明治44年、若杉鳥子(1892-1937)は、板倉勝忠(1887-1973)と結婚した。夫は備中高梁城の城主・板倉勝静(1823-1889)の孫にあたるという(板倉勝弼の五男)。つまりプロレタリア女流作家・若杉鳥子は子爵令弟夫人といわれる上流階級の夫人であった。だが鳥子自身の生い立ちが芸者置屋に里子にだされるという境遇であったためか、プロレタリア女流作家としての道を歩んだ。そして夫は早稲田大学卒の新聞記者、外交官という社会的地位のある人物。また義弟には登山家として知られた板倉勝宣(1897-1929)がいた。昭和8年、鳥子は小林多喜二の母・セキへの義捐金を集める活動をするが、それが治安維持法違反にあたるとして、検挙・投獄されるという苦い経験をもつ。平林たい子は「若杉さんは、プロレタリア文学と、外交官で華族出の夫をもった家庭とのあいだでのギャップに苦しんでいた」と語っている。画像は晩年の若杉鳥子であるが、美貌の上流夫人であり女流作家としての雰囲気がよく表れた写真であろう。(引用文献:奈良達雄『若杉鳥子その人と作品』東銀座出版社)
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