夷夏東西説
NHKスペシャル・シリーズ「中国文明の謎」を見る。もし始皇帝が出現しなかったならば、おそらく中国は現在のヨーロッパのように、いくつかの国があって、それぞれ異なる言語を有していたかもしれない。中華という独特の思想をつくりあげたのは秦始皇帝というのが番組の結論だった。始皇帝は極廟をつくり、五行思想により、全土を西、北、中央、東、南と5区分し、白黒黄青赤と5色が配当される。しかし現在、栗原朋信の研究によって秦水徳説は否定されているので、五行説には番組ではふれていない。実際には兵馬俑の彩色にしても5色のほかに色が使われているといわれる。ほんとうに始皇帝に中華という明確な世界観があったのであろうか。司馬遷は始皇帝よりも100年以上のちの人で、あくまで伝聞を記しているにすぎない。兵馬俑坑の事実はすでに忘れ去られて一切記述はない。中国の学者・傳斯年(1896-1950)は、もともと中国には夷族と夏族という2つの大きな部族がいて、この混合によって現在の漢民族が生れたという説がある。夷夏(いか)東西説である。西にいたのが夏族であり、東の方にいたのが夷族である。殷が夏を滅ぼしたが、西の周が東の殷を滅ぼした。そして夏というのは後世まで中国を一まとめとした呼称であり中華という語もそこから生れたと考えている。
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