楊貴妃は石女だったのか?
クレオパトラと楊貴妃(玉環)ほど、美女の代名詞として使用される女性はいない。ただしクレオパトラはエジプト・プトレマイオス朝の女王であり、楊貴妃は唐玄宗皇帝の寵愛を受けた妃にすぎず、クレオパトラのような政治的野望があったわけではない。美貌がゆえに波乱の人生を送ったのである。クレオパトラが39歳、楊貴妃が38歳と、その華麗で波乱万丈の生涯はともに短い。2人が大きく違うのは、クレオパトラには子女があったが、楊貴妃には実子はなかったことである。クレオパトラはカエサルとの間にできた男子カエサリオンはオクタウィアヌスに殺害されたが、アントニウスとの間には双子(男女)がいた。娘セレネは成人して、ユバ2世と結婚し、男女2人の子をもうけている。玄宗皇帝は59人の子がいるが、楊貴妃との間に子供はできなかった。玄宗の息子で玉環を妃に迎えた寿王とのあいだに子どもが生れたという記録もない。楊貴妃は生来の石女(うまずめ)であったのであろうか。あるいは子宝に恵まれていたが、子どもが殺害されていたため故意に史書から抹殺されたのであろうか。(CleopatraⅦ,Caesarion,Selene)
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