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2012年11月20日 (火)

古代ローマ文明の発展

    映画「ローマの休日」で広く知られたサンタマリア・イン・コスメディン教会の壁には「真実の口」(ボッカ・デラ・べリタ)といわれる観光名所がある。中世のころから、この口に手を入れてうそをつくと、「真実」がその手にかみつく、という言い伝えがある。かつてはローマ時代の下水道のマンホールの蓋であったそうだが、なんとも陰鬱で神秘的な表情をたたえている。ローマの街は壁ひとつにも歴史の伝統が感じられる。

  伝説によれば、ローマは紀元前753年頃狼によって育てられた双生児の1人ロムルスにより建国され、ロムルスの名に因んでローマと呼ばれたといわれている。また、ローマとは当時の言葉で「川の町」を意味していたともいわれている。

    やがて、このローマの人々はしだいに勢力を拡張し、紀元前6世紀にはそれまでの王制をやめて共和制をとり、紀元前3世紀頃にはイタリア全半島を支配し、その後さらに海外遠征により地中海沿岸一帯を制圧し、次にくるローマ帝国時代の基礎が固められた。

    シーザーの暗殺後帝政に移行したローマは、名実ともに当時の世界文明と政治の中心地となった。現代ローマ市内外に残っている古代遺跡の大部分は、このローマ帝国の黄金時代のものである。ローマは奴隷を使って大規模な土木事業をおこした。たとえばコロセウムと呼ばれる円形闘技場は、観客5万人を収容できる4層建てで、剣闘士の真剣勝負や猛獣狩り、模擬海戦などが行なわれ、また、キリスト教伝来初期の弾圧時代には、大勢の信徒がこの中で殺害された。コロセウムは1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式になっている。ギリシアの建築3様式は、神殿のの柱と柱頭にみられる装飾により、簡素なドーリア式、優美なイオニア式、豪華なコリント式にわかれる。

    一方、紀元1世紀の中頃から、聖ペテロや聖パウロの渡来によって伝えられたキリスト教は、暴君ネロに始まる迫害の200余年に耐え、紀元313年のコンスタンティヌス帝のキリスト教公認により、キリスト教はしだいにヨーロッパ各地に広まっていった。それにともなって、ローマ法王の権威も高まり、やがて西ローマ帝国や神聖ローマ皇帝の戴冠をローマ法王が行なうようになった。こうしてローマはヨーロッパ文明、特にキリスト教文明の中心地として2500年の歴史をそのまま現代に伝えてきている。この歴史と伝統の厚みこそ永遠の都ローマの真の姿である。

三様式の変遷

    ローマ人は、先進のギリシア人の精神文化がきわめて高かったので、ギリシア人のような独創的文化をつくりだすことができず、多くはその模倣におわった。

ドーリア式
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イオニア式
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コリント式
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