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2012年11月24日 (土)

台湾ゴールドラッシュ

   中国では古く台湾を琉求とよび、明代以降は小琉球と呼んだ。また別称としては神仙思想にもとづく蓬莱島という呼称もある。日本では高砂、高山国とよび、ヨーロッパではポルトガル航海者が美麗島 Ilha formosa(イラ・フィルモサ)と称したのが、フィルモサの起源となり、清以後は台湾と公称されるようになった。台湾は日清戦争後、台湾総督府が置かれ、明治28年から昭和20年まで半世紀以上にわたる日本の統治下時代に、鉄道の開通、基隆港の整備、台湾銀行の設立など資本主義経済の準備はほぼ整った。しかし日本の台湾経営は島民から農地・山林を奪い、低賃金で労働者を雇って多くの収益をあげてきたため、多くの民衆は貧困で生活水準は低かった。

   昭和14年11月24日、台湾総督府(第18代総督・長谷川清)の総務長官が来日の際に船中で次のような談話をした。「台湾中部のタッキリ渓上流で小笠原技師が10月末に純度92%の砂金を見つけた。台湾には大砂金源があるのではないだろうか。」この小笠原談話によって、不安で暗い社会ムードにときならぬ黄金騒動が起こった。

    12月19日には、東京帝国大学教授で工学博士・鉱山学の権威である佐野秀之助(さのひでのすけ)を団長とする砂金調査団がタッキリ上流のタビト蕃界を調査することとなった。石崎技師や高砂族人夫150人などが入山試掘した。12月20日、ドヨン、タウサイ、シリチヤの岩丘を調査したが、結果は採掘は採算にあわない僅かの砂金であり、調査団は12月24日に下山した。

   しかしそのころ日本国内では、仙台と札幌の鉱山監督局に3万件を超える試掘届が殺到するという大騒ぎになっていた。やがて台湾砂金騒動は儚い夢となって消えていった。

  近年、米カリフォルニア州コロマでは金価格高騰で砂金採取がブームになっている。夢よ、ふたたび。

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コメント

こんにちは。世の中あまい話は無いとはこう云う自然資源や自然現象にも言える事であるのかと思いました。

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