着鈦政
なぜ日本4は年中行事が諸外国に見られないほどたくさんあるのだろう。除夜の鐘、鏡開きや初午、冬至、追儺、桃の節句、端午の節句、七夕、盆踊りなど1年を通じてさまざまな行事が全国各地にある。これは、日本が季節の変化に富んでいること、感受性がゆたかな国民性を持っていることが、行事を生んだ背景にあります。なかでも大きな要因は、日本が農業国であるということです。そこに古来の信仰心や中国からの伝承が加わり、日本独自の年中行事を作り上げました。
ちゃくだのまつりごと。平安時代に、盗犯・私鋳銭などの罪を犯した者に鈦(鉗、つまり囚人を連繋する道具)をつけさせて、獄に送る儀式で、818年に初めて行われたといわれる。毎年5月と12月に日を選んで行なった。当日は衛門佐以下が居並ぶなかで、看督長が囚人の罪状を衛門佐に示したのち、左右獄の囚人をひきつれて来、そして衛門佐が看督長に命じて鈦をつけさせて獄に送らせるのである。罪によっては決杖して原免したり、服罪しない者を拷問することもあった。行政の儀礼化の一例である。鎌倉時代からは、有名無実となり、京都の見世物的な年中行事となった。
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