フローベルとモーパッサン
フローベル(1821-1880)とモーパッサン(1850-1893)はともにノルマンジーの出身である。フローベルは1842年にパリに出て、「感情教育」「ボヴァリー夫人」「サランボー」などで知られる作家となった。文学志望の青年モーパッサンがパリに出たのは1871年のこと。モーパッサンはフローベルを師と仰ぎ、日曜日ごとにフローベルの指導を受ける。完璧な芸術至上主義者であったフローベルはモーパッサンに文学への尊敬の念と小説の技術を根気よく教えた。このような師弟関係は文学史上においてきわめて稀である。当時フローベルのサロンにはツルゲーネフ、ゴンクール兄弟、ドーデ、ゾラなどもいた。フローベルは「脂肪の塊」の校正刷に眼を通して、「これは巨匠の傑作だ」といって褒め、本が出てからもこれを読み返して「こういう作品を4、5編書けば、君も一人前になるだろう」といった。モーパッサンの作家人生は10数年と短かったが、流行作家としては成功した。1891年ごろから発狂し、1893年に没した。(Flaubert,Maupassant)
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