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2012年11月 7日 (水)

実篤と直哉

23007000140     志賀直哉は、明治35年、学習院中等科卒業の際に落第し、原級(6年)に留まることとなった。しかし一人個人の出来事が近代日本文学史に大きな意味をもつ。落ちたクラスには武者小路実篤がいたからだ。これはまことに幸せな出会いであった。志賀は「武者小路実篤全集」(昭和25年)に次のような一文を書いている。

武者との交わりはもう3年経てば半世紀になる。武者と私とは随分違った性質もあり、こまごました点では寧ろ反対なことが多いが、会って、一番心に近く感じ、別れて後まで愉しい気持を残してくれるのは矢張り武者小路である。(中略)唯、異った性質は互にはっきり分っていて、そういう事では決して干渉し合わないが、私は芸術の上でも武者からよきものを摂取して来たと感じている。(中略)私は私の人生で、武者という人間に出会わなかった場合を想像する事は出来ない。

   武者小路実篤も「志賀直哉のこと」(昭和40年9月)という一文で、晩年の二人の友情を示す面白いエピソードを披露している。

志賀はまた親切で、よく気がつき、気がついたことはぼくより実行力がある。ぼくはいろいろのことを考えて、いろいろのことをしたが、万事他人任せで、一切気にならない質だが、志賀の方はわりに気になる。自分がいいと思うものがあるとぼくにすすめてくれる。去年ぼくのところに電話をかけて来て、カラーテレビを手に入れたから見に来ないか、同じものがもう一ついい条件で手に入るから、よかったら世話すると言うのだ。僕はカラーテレビは前からほしいと思っていたので、ほしく思ったが、いろいろの理由で金がいる時なので、ちょっと考えていたが、志賀が親切に言ってくれるので見に行って、気に入ったが、条件がいくらいいと言っても米国出来の最優品らしいので少し考えさせられていたら、志賀はぼくに気にいったことがわかると、ただでくれるというのだ。話がうますぎるが、相手が志賀なのでただで喜んでもらった。ところがオリンピックの直前に故障が出来て、他ではなおせないので、志賀に相談し、志賀から買った所に話してもらった。オリンピックの直前でぼくはあきらめていたら、オリンピックの前日に完全になおってとどけてもらったのにぼくは感心した。志賀がやかましく言ってくれたのでまにあったのだと言うことはぼくにはわかりすぎていた。おかげでオリンピックの入場式を孫達と一緒に見ることが出来た。志賀はもちろん恩にきせるようなことは一言も言わないし、ぼくも別にお礼を言う必要は認めなかったが、感謝はした。

Img_0005   志賀直哉と武者小路実篤との友情秘話というと、何か特別なことを想像するかもしれないが、80歳を過ぎた老人が東京オリンピックをカラーテレビで見て素直に喜んでいる様子は普通の人とかわりがないようにも思える。仲良きことは美しき哉。左画像は志賀直哉と武者小路実篤、甲府から信州方面徒歩旅行(明治39年4月)

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