心のありか
馬祖が弟子の百丈と歩いていると野原から野鴨の一群が飛び立って去っていった。それを見た馬祖が、百丈に尋ねた。「あれは何だ」「野鴨です」「どこへ飛んでいったのか」「わかりません。ただ飛んでいったみたいです」答えを聞いた馬祖は、いきなり百丈の鼻を強くつまみあげた。思わず、百丈は叫んだ。「痛いっ!」すると、馬祖はいった。「なんだ、飛び去ったというが、野鴨はここにいるではないか」百丈は、我に返り、大いに悟った。
さて、俗人の身としては、百丈がなぜ鼻をつままれたのか知りたいであろう。馬祖は、飛び去った鴨を漫然として見てしまっている百丈に「お前の心はどこにあるのか」と厳しく指摘したかったのだ。事象を眺めるとき、それを自分自身の心がどう捉え、どうかかわっているのか、自らの心のありかと、究明と飛躍を求めたのである。
百丈(正しくは「はじょう」と読む)は、江西省の百丈山に住した中唐の大智覚照懐海禅師(749-814)である。百丈懐海はそれまで各寺院において、それぞれ習慣法的に行なわれてきた規則を、普遍的な一般規則として統合して成文化した。これを「古清規」(のち散逸し、序文しか現存せず)という。その後これは時と所に応じて適宜に取捨し改変しながら用い、中国と日本の禅宗寺院ではほぼこの「百丈清規」にのっとって各種の規則と儀式を運用する。日本では室町時代にこれを覆刻した五山版が出版された。大正大蔵経48巻に収められているのもこれである。
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