ガンジーとチャップリン
20世紀はオートメーションに代表される技術革新によって、テクノロジーの時代を出現させた。しかしまたガンジーとチャップリン、2人の現代文明への批判、とくに機械の否定も歴史に記録すべきであろう。ガンジーの「ヒンドゥ・スワラジ」(1909年)から引用する。
「機械はヨーロッパを荒廃させかけている。イギリスはいまや破滅の寸前にある。機械は近代文明の主要な象徴であり、重大な罪悪を意味する」
しかし、ガンジーが機械文明を一切否定することは、21世紀の現在はもちろん、20世紀初頭においても、珍奇な意見とみられていた。あるときガンジーは、文豪タゴールのたてたヴィシュヴァバラティ大学の学生ラマチャンドランと、つぎのような対話を行なった。
ラマチャンドラン「あなたは主義として、いっさいの機械に反対されるのか」
ガンジー「そんなことがどうしてありえようか。自分の肉体が特別に精巧につくられた機械以外のなにものでもないことをわたしは知っている。手紡ぎ車も機械だ。わたしは機械そのものと闘っているのではない。機械は労働を節約する、という考えかたのなかにある狂信と闘っているのだ。たしかに、数千にのぼる人々が仕事もなく、街頭で飢え死にするほど(労働は節約されている)。わたしは、人間の一部のみに仕事や生活の安定をもたらすのではなく、すべての人にもたらしたいものである。わたしはただの少数の者が、すべてを犠牲にしたうえで繁栄するようなことを望まない。現在は、一部の少数者が大衆の搾取によって生活することを機械は助けている。この少数者の行為は、人道や人間愛ではなくて、貪欲と欲望である。わたしは全力をあげてこれと闘いたい」機械を否定するときのその語気の激しさは、後年、ガンジーが原子爆弾に対して行なった、まっこうからの挑戦のなかに見られる激しさに通じるものがある。
ガンジーは1931年9月、ロンドンで開かれたインドの憲法制定に関する第2回英・印円卓会議に出席したとき、喜劇王チャップリンと会見したことがある。二人の話題が機械のことに及んだ。「失業者をだすような機械の罪悪に反対しているのであって、機械そのものを否定しているのではない」というガンジーの言葉は、チャップリンを非常に感動させた。後年この感動から、映画「モダン・タイムス」(1938年)に、人間と機械の対立を描いたという。
ガンジーは1948年1月30日、ニューデリーのビルラー邸で狂信的なヒンドゥー原理主義者によって暗殺された。3発のピストルの弾丸が撃ち込まれたとき、ガンジーは自らの額に手を当てた。これはイスラム教で「あなたを許す」という意味の動作であった。(参考:「世界の名著63 ガンジー ネルー」)
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