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2012年11月 3日 (土)

富士には月見草

51shdbw3pl__sl500_aa300_     昭和10年3月、当時26歳の太宰治は、東京帝大の卒業は絶望的であり、都新聞社の就職も失敗した。単身鎌倉に行き、鎌倉山で縊死を図るが、未遂に終わる。4月、篠原病院で急性盲腸炎の手術後、腹膜炎を併発し重態に陥る。入院中、パビナールを射ち、漸次習慣化する。昭和11年には、パビナール中毒治療のため、済生会芝病院に入院、10日ほどで全治せぬまま退院する。10月パビナール中毒治療のため武蔵野病院に入院する。入院中に妻初代、姦通事件を起こす。11月、中毒を根絶して退院する。昭和12年3月、初代の過失を知り、水上温泉で夫婦のカルモチン心中を図るが未遂に終わる。6月、初代と離別する。初代は青森の実家へ帰り、太宰は単身で井伏鱒二の家の近くの鎌滝方に止宿することになった。

   太宰治は、「昭和十三年の初秋、思ひをあらたにする覚悟」(「富嶽百景」)で旅に出た。甲州御坂峠の天下茶屋に滞在中の井伏鱒二から勧誘されたからである。井伏を通じて縁談があった。9月石原美知子と見合いする。11月には石原家で酒入れ式(婚約披露)を行う。昭和14年1月、東京の井伏家で結婚式を挙げ、その日のうちに甲府市御崎町の新居に入る。9月、甲府を引払い、東京布北多摩郡三鷹村下連雀130番地に移転、ここが終の栖となる。「富嶽百景」「女生徒」、書下し創作集「愛と美について」を発表する。

    富士五湖の一つ河口湖をはるかに見下ろす地点にある御坂峠の天下茶屋。ここからの富士の眺めは天下一品と称される。太宰は、それまでのデカダンな生活から抜け出して、思いを新たにする覚悟で、初秋の天下茶屋にやってきた。バスの中を描写した「富嶽百景」の最後に有名な「富士には、月見草がよく似合う」がでてくる。

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