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2012年11月12日 (月)

鷹見泉石

Senseki   渡辺崋山の筆によって鷹見泉石(1785-1858)の面貌は永遠に残ったといえる。この肖像画は天保8年(1837)に描かれたもので、泉石は当時53歳で大塩平八郎の乱事後処理のため、大坂に滞在していた。遠くはなれた泉石をなぜ崋山が描いたのかミステリーである。崋山は蛮社の獄で弾圧され、4年後に自殺している。

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日本史」カテゴリの記事

コメント

国史大辞典の記載を適宜補足すると「渡辺崋山筆「鷹見泉石像」(国宝)は、大塩平八郎の乱の平定に功を立てた(泉石が仕えた)古賀藩主利位が菩提寺である江戸浅草誓願寺に泉石を代参させたが、その折の姿を描いたものであるという」とあります。泉石は元々江戸詰め家老であり、崋山にとって洋学の先輩であり、交流があった知己だったからです。

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