清貧に徹した茶人・丿貫
丿貫(へちかん)は村野紹鷗の門下の茶人で、山科に居を構え、数々の奇行をもって知られた。薮内竹心の「源流茶話」によれば「丿貫は、侘びすきにて、しいて茶法にもかかわらず、器軸を持たず、一向自適を趣とす」と書かれており、作法や高額な茶器にとられない清貧の侘び茶を追求していた。千利休と交流を持ち、共に茶道を競い合う仲だったが、権力者と付き合いすぎる利休を嘆いていた。北野大茶会で丿貫は朱塗りの大傘を立てて茶席を設け、注目を集めた。
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