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余裕派と高踏派。これらは明治から大正にかけて文壇の主流だった自然派の作家たちが、夏目漱石と森鴎外を揶揄した言葉である。2人は文壇や世俗の流行とは距離を置き、独自の文学を書き続けた。明治29年、東京根岸の子規庵で俳句会があった。漱石と鷗外が会ったのはこれが初めてであり、2人は言葉を交わすことはなかった。漱石は5つ年上の鷗外を深く尊敬しており、鷗外も漱石のことをつよく意識していたようである。文学上の良きライバルだった。
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