無料ブログはココログ

« コロンブス交換 | トップページ | テディベアとセオドア・ルーズヴェルト »

2012年10月27日 (土)

新選組の裏切者・加納鷲雄

Photo_3     加納鷲雄(1839-1903)、本名・加納道之助は文久3年10月、篠原泰之進らと尊攘思想の実践のため新選組に加盟上洛する。伊東甲子太郎らとともに、孝明天皇の御陵衛士を拝命して、高台寺月真院に本拠を構える。慶応3年11月、七条油小路において新選組と乱闘、辛くも脱出し、中村半次郎(桐野利秋)を頼って薩摩藩の庇護下に入る。翌月18日には、伏見街道藤森神社付近で近藤勇を要撃、銃傷を負わせる。慶応4年4月、下総流山で投降した大久保大和こと近藤勇を看取する。その後、薩摩軍に属して野州並びに奥州に転戦する。会津並びに仙台において、降伏人の調査役を勤めた。明治4年には加納通広と改名し、開拓使となって札幌に赴く。明治10年の西南戦争には黒田清隆を助けて出兵、かつて新選組に追われてあわやの窮地を救ってくれた桐野利秋を敵に廻すことになった。明治15年には農商務省に転じ、19年には民間会社に移って明治35年10月27日、麻布の自宅で亡くなっている。加納鷲雄は幕末の動乱期を裏切りの連続で成功者となった稀有な例ではあるが、今日、新選組隊士一員としての彼の名を記憶する人はあるまい。

« コロンブス交換 | トップページ | テディベアとセオドア・ルーズヴェルト »

人国記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« コロンブス交換 | トップページ | テディベアとセオドア・ルーズヴェルト »

最近のトラックバック

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30