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2012年10月15日 (月)

作家・歌人の修行

    ほとんどの作家は原稿が売れるようになるまで、さまざまな職歴を経て独立している。最近は何らかの文学賞を受賞をして有名になるケースが多いのであまりユニークな経歴のある人は少なくなったように思う。俵万智や綿矢りさが有名になっても、どこかお嬢様ぽいところがある。戦後の作家のほとんどはサラリーマンが多い。村上春樹のジャズ喫茶経営などユニークなほうだろう。大江健三郎なども学生作家だったので、あまり実社会での経験などはないのに、よく物事を深くみつめることができると感心する。大江や村上らは異才であり、とても凡人にはできないことだ。若い綿矢りさにできるか心配だ。車谷長吉や浅田次郎は人生経験が豊富なだけに作家としては安定しているだろう。むかしの文士・作家は経済的な裏づけはなくみな貧乏だった。伊藤左千夫は牛乳搾取取業として、毎日18時間労働を続けた。吉川英治は横浜ドック会社の船具工として働いていたが、作業中に転落して入院した。これが転機となって苦学しながら作家への道をすすむ。江戸川乱歩は古本屋の店員、山本周五郎は質屋の店員だった。池波正太郎は都職員でDDTを散布していた。井上光晴は炭鉱夫、椎名麟三は車掌、深沢七郎は日劇ミュージックホールでギターを弾いていた。変わったところでは清岡卓行はプロ野球の日本野球連盟の社員として大リーグを研究したり、昭和39年までセ・リーグのペナントレース日程を編成していた。野坂昭如はCM ソングの作詞家として活躍したことがある。ハトヤ、ハウスバーモントカレー、パルナスの歌など。   林芙美子や平林たい子らは、下足番、女工、事務員、女給などさまざまな職業を経験している。幸田露伴の娘、幸田文は断筆宣言して柳橋の芸者置屋に住み込みで働き、そのときの経験をもとに「流れる」を書いた。脚本家向田邦子は雄鶏社の編集員。中園ミホは占い師。

   19歳で芥川賞を受賞し、早稲田大学を卒業してそのまま専業作家になった綿矢りさ。これからも長い作家活動をするわけだが、なに不自由のない暮らしで書斎とパソコンに向いはたしてリアルな小説が書けるだろうか。瀬戸内晴美は出家という方法を選んだ。これはもっともベストの選択だけどできないだろう。綿矢りさちゃんにも、女流文学の先輩に倣い幸田文のように断筆宣言して、就職してはどうだろうか。芸者置屋はあまりないので、自衛隊もしくは海上保安庁、あるいは身近な消防署など体をはってはたらく職場なんてどうか。たしか三島由紀夫や開高健も体験的に入隊したと思う。

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