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2012年10月10日 (水)

加藤繁「支那経済史考証」

Photo     加藤繁(かとうしげし、1880-1946)は、明治13年9月3日、松江市奥谷町の士族内田虎次郎、セイの四男として生まれた。翌年、同じ旧松江藩士の加藤文八、シマの養嗣子となる。明治34年、上京し、国民英学舎で語学を学び、翌年9月、東京帝国大学の支那学科に選科生として入学する。内田銀蔵(1872-1919)の影響もあって経済史を専攻した。明治40年秋から大正4年初夏まで、京都帝国大学で「清国行政法」の編纂に従事する。大正5年、「支那古田制の研究」を公刊する。大正14年、「唐宋時代に於ける金銀の研究」によって、東京大学から文学博士の学位が授与される。昭和2年、東洋文庫から「支那経済史考証」が刊行される。加藤は蓑田胸喜の主宰する雑誌「原理日本」に早くから文章をのせ、「絶対の忠誠」(昭和18年)を刊行していることから、戦後、一部学者から批判されることになるものの、中国経済史という特殊問題研究の客観的事実究明に努めたその学問的功績は大きいものがある。

   代表的論文「漢代に於ける国家財政と帝室財政との区別並びに帝室財政一斑」(大正8年)、「算賦に就いての小研究」(大正8年)、「交子の起源に就いて」(昭和5年)など多数。

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