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2012年9月13日 (木)

赤松登志子

Photo_3    森鷗外が最初の妻、赤松登志子(1871-1900)との離婚に至る状況を、登志子の兄が父に報告する書簡の下書きが静岡県磐田市で見つかった。和紙6枚に毛筆書きで、気性が合わず、筆硯の妨げになることを理由に、相談の上で別居したとつづられている。ただし「決して離婚などはいたさず」とあり、研究家・杉本完治は「別居時には2人に離婚の意思がなかったのでは」と話している。鷗外が登志子と生後間もない長男於菟を残して家を出て後の1890年10月ごろに書かれたとみられる。登志子は海軍中将赤松則良の長女。佐藤泰然の曾孫。28歳で病死している。

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