仁川上陸作戦とハシゴ
1950年6月25日、北朝鮮軍は突然、南進し、28日には首都ソウルを占領した。北朝鮮は圧倒的な勢いで韓国軍は釜山に追いつめられた。9月15日にはダグラス・マッカーサー率いる国連軍が反攻開始。敵の防備が手薄な仁川に奇襲上陸することを計画。だが潮の干満差が大きく高い岸壁がある仁川港を上陸するためには軽いアルミ製のハシゴがいる。マッカーサーは日本アルミ工業(立花金属)の木下寅市にハシゴを委託した。しかし途中でキティ台風が来襲し、立花工場の屋根が飛ばされた。それでも懸命に作業を続行し、予定の60基を納め入れた。国連軍の特需アルミ製ハシゴが仁川上陸作戦で活躍しようとは、木下社長は新聞の写真をみてあとでわかった。
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