足助素一と叢文閣
今日9月16日というのは、大正12年のこの日、関東大震災時の戒厳令下で憲兵大尉甘粕正彦らに大杉栄、伊藤野枝、甥橘宗一らが虐殺された日である。
足助素一(あすけそいち、1878-1930)は札幌農学校に学び、小樽で貸本屋独立社を経営したが、上京して大正2年、叢文閣を創業した。農学校時代の先輩有島武郎の社会主義研究会に出席していた足助は、当時新潮社が大正6年から出しはじめていた「有島武郎著作集」の出版権を佐藤義亮社長に懇望して譲り受け、「小さき者へ」「或る女」「惜しみなく愛は奪ふ」「一房の葡萄」など、6年ほどで16 冊を出版、大部数を売り、大正出版史上の壮挙となった。有島武郎の個人雑誌「泉」も刊行した。このほか、大杉栄「無政府主義者のみたロシア革命」(大正11年)、大杉栄訳の「アンリ・ファブル昆虫記」、柳宗悦など。昭和初年、左翼系の出版物をだしている。
足助素一は大正12年の有島武郎の心中事件(7月12日)、大杉栄、伊藤野枝の死(9月16日)に奔走した。足助は有島から大杉と伊藤を経済的支援するよう申し渡されていたという。
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