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2012年9月 3日 (月)

日本全国名所だらけ

    純文学の小説家が人名や地名をNとかSとかイニシャルであらわすことをしばしば見かける。これは、読者に固定イメージを与えず、なるだけ普遍的な問題として捉えてほしいからであろう。ところがそのような作家の意図とはうらはらに、地元の行政や図書館では、「オラが村さの流行作家だべ~」とばかりに、「ここのサル公園は風の歌を聴けにてでくる」とか「海辺のカフカはここの図書館がモデルだ」と喧伝したもんだ。さぞかし作家には迷惑なことだろう。谷崎潤一郎の「細雪」や「猫と庄造と二人のをんな」などのように明らかに地名が記されてあれば、文学と風土が不可分であり、郷土文学として研究するに十分なる意義が認められるだろう。ところが謎解きのように、作品の描写からご当地の都合の良いように宣伝に利用する風潮に恥じる気持ちはないのであろう。おそらく行政はそれほど暇で茶坊が跋扈しているのであろう。もちろんこのようなことは日本的でむかしからある。須磨寺には源義経の腰掛松というのがある。一の谷の合戦後、義経が敦盛の首実験をするときに腰掛けたというのである。平重衡とらわれの松もある。須磨寺宝物館には「青葉の笛」「弁慶のつり鐘」がある。誰も本物と信用する人はいないと思うが、名残を残す名所旧跡になっている。

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