『北越雪譜』と雪譜まつり
新潟県南魚沼市塩沢では600本近い蝋燭に火を灯した幻想的な祭り「しおざわ雪譜まつり」が毎年2月に行われている。寺島しのぶ主演映画「ヴァイブレータ」にもでてくる。雪譜とは日本における科学随筆の先駆である鈴木牧之の著書『北越雪譜』に因んでいる。鈴木牧之(1770-1842)は、明和7年正月27日、越後国魚沼郡塩沢に生まれた。幼名弥太郎、後に儀三治と改め、俳号を牧之と称した。家は特産の縮の仲買いと質屋を営み、父の恒右衛門は、家業が安定するにつれて俳諧に親しんだ。この血をうけて牧之も文芸を好んだ。生来器用な彼は、三国街道を往来する文人墨客に啓発され、句や絵などに上達した。徳昌寺の虎斑禅師に詩歌を、狩野梅笑に画を学ぶ。しかし分を知る彼は、趣味への惑溺を自ら戒め、家業に精励した。商売の中心を、縮仲買いから次第に質営業に移しつつ、一代で家産を三倍にふやし、時に貧民に施して会津藩小千谷陣屋の褒賞をうけた。
牧之は19歳の時に縮80反を持ってはじめて江戸へ出た。27歳の正月には伊勢神宮を参拝した。雪のない世界に接して彼は、今更ながら郷里魚沼の雪深い生活に感慨を覚えた。しかも雪国の実状を伝える書物は、まだどこにもない。文才のある彼は、魚沼の自然と習俗、また住民の生活の哀歓を、薄雪の地の人々に紹介しようと企てた。彼はまず、山東京伝に草稿と雪具の雛形を送って頼みこんだ。話はまとまらず、滝沢馬琴、岡田玉山、鈴木芙蓉と依頼するが断られた。半生の苦心がみのり、山東京山の好意的協力をえて、『北越雪譜』初編三冊を「鈴木牧之編撰、京山人百樹刪定」というかたちで世に出したのは、天保8年の秋であった。思いたってから40年の歳月が過ぎていた。
刊行されるまでは紆余曲折をへた『北越雪譜』ではあったが、売り出されてみると、雪の風土を描いた書物が今までになかったことも手伝ってか、時好に投じて広く読まれ、続編が待望された。牧之はすでに中風の床にあったが、老躯に鞭うって二編の執筆をすすめ、天保12年11月に出版した。翌13年5月15日、牧之は73年の生涯を閉じた。鈴木牧之記念館(新潟県南魚沼市塩沢)がある。
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